『本当の敵』
トシオ
 僕は、生まれたときから、この賄いつきの下宿屋で暮らしている。この家には玄関や窓がなく昼間も暗い。僕は外に出ることもなく、薄っぺらな壁に囲まれた部屋のなかで、一日中ゴロゴロ寝ころんで過ごしている。

 暑い日のことだった。家がゆっくりとゆれる心地よさに身を任せて、居眠りをしていると、突然、バリバリと大きな音がした。
 壁を蹴破って、隣の部屋から僕の倍くらいの大きさがある、ぶよぶよした体つきの奴が侵入してきた。彼は僕を見るなり言った。
「俺のほかに、誰かが住んでるんじゃないかと思っていたが、やっぱりいたか。なんでおまえのようなチビ助がここにいるんだ。じゃまだ、出て行け」「そう言われても、出口がないよ」。僕はおそるおそる応えた。
「出口は自分で作るもんだ。ちぇっ、チビだから、まだそんなこともできねえのか。できるようになったら、スグに出て行けよ」
 彼は怒鳴り、巨体をゆさぶって、隣の部屋へ戻っていった。
 それからは、彼の機嫌が悪いときに必ず現われ、大きな体を僕にぶつけて「早く出て行け」と脅しをエスカレートさせていった。
 最初のうち、僕は黙っていじめられていたが、悔しくて仕方がなく、たくさん食べて運動し、体を大きくしようと頑張った。
 暑さが和らぎ始めた頃、僕はようやく彼と同じくらいの体型に成長した。そして、彼がいじめにやってきたとき、彼より先に体当たりをくらわせ、強く言い返してやった。
「この部屋は僕のもの、君は僕の敵だ!」
 すると彼は鼻で笑った。
「ふん、なーんにも分かっちゃいねえな。本当の敵は、もっとほかにいるんだよ、バーカ」

 秋になったある日。また、二人でケンカを始めた矢先に、パカンという大音響とともに、家が大きく傾いた。二人とも衝撃で部屋の奥に吹き飛ばされたが、彼はノロノロと這っていき、外壁に穴を開け始めた。
 僕もまねをして、必死で近くの壁に穴を掘ってみる。陽光が差し込んできた。
「何だ、おまえ。一人前に穴ほれたじゃないか」
 彼が寄ってきて、初めて僕を褒めてくれた。隙間から外をのぞくと、ピカピカ光る新しい家が見える。
「あの家、きれいだなあ。よし決めた。俺はあの家に引っ越す。この家はおまえにやるよ。もうケンカはやめだ」。彼はそう言い残し、穴から這い出ようとした。
 その瞬間、家がガサガサと激しく揺れた。すぐにボカッと音がして弾け、家もろとも落下した。そして、激突。僕は意識を失った。

「パパ、この栗、穴があいてるよ」
「それは、虫が食っているんだ。穴のあいてないきれいなものだけ集めなさい」

 そんな誰かの声をぼんやり聞きながら、僕の意識は戻ってきた。どこからか、「うーん、うーん」という声が聞こえる。目をこらすと、彼が体から血を流して、草むらの向こうに転がっているのが見えた。
「おーい、大丈夫か? 今、助けに行くからねー」。僕は大声で叫んでいた。それから一生懸命もがいて、家から地面に転がり出た。
 そのときだ。地上に黒い影が差した。バサバサという音が上空から降ってくる。僕は空を仰いだ。大きな黒いくちばしが間近に迫っている。僕は反射的に身をすくめた。
 次の瞬間、黒い影は僕ではなく、彼をくわえて飛び去った。ほんの一瞬だが、彼と僕の目が合った。「なッ……」。彼が僕に、そう言ったような気がした。
(本当の敵って、あいつのことだったのか)
 僕は胸をドキンドキンとさせながら、彼の姿が見えなくなるまで、空中の黒い影を追いつづけた。
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