『宙人のファーストキス』
果伊江(かいえ)
 宙人(そらと)の一目ぼれだった。
 人ごみの中で彼女を見た瞬間、運命を感じた。キャミソールの胸元は牛脂のように白く、レースのスカートから覗く太ももはハムを思わせた。上背があって胸もお尻も大きい。友達と横断歩道を渡っていた彼女は、ひときわ存在感があった。
 彼女とキスしたい。宙人は突然そう思い、意を決して引き返すと彼女に声をかけた。

 家に帰って食事中の両親に報告すると、父さんはとても喜んでくれた。テーブルのトンカツを素手で掴んでいる。外ではひかえているけど、我が家でのいつもの食事風景だ。
「やっと宙人もその気になったか。まずは誰にも邪魔されないロマンチックな場所に誘ってみればどうだ? 嫌がったら無理矢理やるって方法もあるさ」
 父さんは下品に笑った。でも宙人は、そんな強引な方法をとりたくない。
 母さんも話を聞きたがった。相手が気になるらしい。僕がどんなにすばらしい体をしているか話したら、「女の子は見かけじゃない、中身よ」と、窘められた。
 でも髪にケチャップが付いていると指摘すると、恥ずかしそうに舐めている。
 父さんが会話に割り込んできた。
「まあ、最初はそんなもんだ。色々知らないと宙人も本当の良さが分かるまい」
 気がつくと、テーブルのトンカツが最後の一切れになっていた。宙人と父さんが同時に手を伸ばす。だけどその手が空中で交差している間に、母さんがペロリと食べてしまった。

「とても綺麗な星空ね」
 やっと彼女をデートに誘うことが出来た。場所は、しっかり下調べしておいた山頂の公園だ。コオロギの大合唱と満天の星空。恋人同士が過ごすには、おあつらえ向きにベンチまである。夜はめったに人が来ないらしい。
「そうだね。でもこの星の美しさも君にはかなわないさ」
「どうして宙人君は私なんか誘ったの?」
 どうも彼女は太っていることを気にしているみたいだ。
「決まってるだろう。君が素敵だからだよ」
 宙人が彼女の肩に手を置いた。すると指先がマシュマロのような肩に食い込んだ。
 ああ、キスがしたい。顎に流れる汗を拭いながら、そう言おうとしたときだった。
「あ、流れた」
 彼女は宙人の出鼻をくじくように空を指差した。天の川に明るい光の筋がくっきりと残っている。
「今の流れ星、大きかったわね」
 彼女は蒸しパンに埋もれた干しブドウのような目を輝かせた。
「もしかしたら、宇宙船かも。どこかに地球以外の生物がいて空を飛び回ってたりして」
 彼女は自分の想像に笑っている。もちろん本気でそんなことを思っていないことぐらい宙人にも分かる。思っていたら、こんな人気のないところに僕と来たりしない。
 宙人が空を見上げると、瞬いている赤い星が宙人に〝さあ、早く〟と囁きかけた。
「ねえ、お願いがあるんだ。君のことが好きなんだ……」
「分かってるわ、宙人君の気持ちは」
 赤い星が見守ってくれている。
「そうなんだ。僕は君と一緒になりたいと思ってる。だからキスしてもいいかな。少し恥ずかしいから、目をつぶってくれる?」
 彼女が素直に頷いて、目を閉じてくれたので安堵する。逃げられることはなさそうだ。
 宙人は大きく深呼吸した。
 すると虫の声がぴたりとやんだ。
 宙人は頭を縦に半分に割ると、中から蝕手を出して彼女を捕らえ、唇へと導いた。
 これが、地球上における宙人の初めての捕食だった。
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