『女と男の空中戦』
ヒョウ
「操縦士の中野です。当機はこれから東京都心の六百メートル上空を二十分かけて周遊いたします。上空からの景色をどうぞご堪能ください」
 遊覧ヘリコプターの女性パイロット中野つばさは、搭乗してきたスーツ姿の男性客に操縦席から慣れた口調で挨拶した。
「よろしく、中野さん」
 野太い声が後部客席から耳に届いた。パイロット歴二年の彼女は男性の一人客とふたりきりでフライトするのは初めてだったが、気に留めることなく地上を後にした。

 その日の東京は快晴で、視野は良好だった。離陸して間もなく、男が訊いてきた。
「ヘリの操縦って難しそうだなあ。ミスしないの?」
「飛行シミュレータというバーチャル操縦装置で訓練してますから、ご心配なく」
 つばさは自分の飛行技術に絶対の自信を持っていた。仲間からも「操縦桿を握って生まれてきた女」などと揶揄されるほどだ。
東京湾の上空に差しかかった頃、男が粘着質な声で呟いた。
「例の連続殺人、犯人が全然わからないみたいだねえ。警察は何やってんだか」
「ああ、東京『区名』殺人事件のことですね。二十三区の名称と同じ苗字の人が、毎週水曜日に一人ずつ殺されているっていう」
「そうそう、先々週は『渋谷』さん。先週は『品川』さんが殺されて、とうとう二十二人……残るは『中野』さんだけ。今日が、その水曜日だけど、おたく、怖くない?」
「忙しいので、怖がってる暇ないですよ」
「犯人が俺だとしても?」
「えっ」
「区名になぞって一週一殺、小粋なアイデアだろ? 俺ひとりで実行してきたんだ。マスコミは〝狂気的〟とか〝思い込みの強い偏執狂〟とか書き立てて大騒ぎ。それでも俺を英雄と崇める連中さえいる。もう完遂するしかないよな」
 つばさは動揺し始めた。操縦桿を握る手が震える。男の饒舌は更に続く。
「六人目に殺した『新宿』さんは、まず捜し出すのに苦労したよ。都内に六世帯しかないんだもん。『葛飾』さんに至っては……」
「ふざけないで!」
 彼女の抑えていた感情が、ほとばしった。
「あれは私の……あの事件は、私の作品! 私の特許! 私が計画して遂行してきたの! 最後は、私が自殺して完結させるって決めてるんだから!」
 沈黙の後、男の冷淡な声が飛んできた。
「今の発言は、自白と解釈するぞ」
「はっ?」
「申し遅れたが、俺は警視庁の刑事だ。物証もある。あんたを逮捕しに来た」
「そう……。ふふ、でも操縦してるのは私よ」
「何だと?」
「墜落させてやる! このまま、私と心中してもらうわ。刑事さん、殉職すれば二階級特進でしょ? 感謝してよね」
「お、落ちつけ」
「私はいつだって冷静よ!」
「まだ景色も、あと九分ぶん残ってる」
「三秒後には、あの世の光景見せてあげるわ」
「ちょ、ちょっと待てッ」
「男らしく覚悟を決めなさい!」
 つばさはそう告げ、機体を急降下させた。東京湾の淀んだ水面が目前に迫ってくる。次の瞬間、目の前が、轟音とともに闇に包まれた。

「班長、中野は自白しましたか?」
「おう。それにしてもあの女、本気で空を飛んでるつもりだったぞ。シミュレータの中だっていうのに。ただのバイトだろ?」
「ええ。ずっとパイロット役ですが」
「ま、高所恐怖症の俺には、二度と乗りたくないアトラクションだったな」
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