コンテスト参加作品(1)
『つぶれた小指』
伊知悟
「私が、殺すはずだったのに……」
 やってきた瑠依は、足もとに転がっている男たちを見て呆然となった。ステッキを持った年寄りが鮫島万作で、他の二人は鮫島のボディーガード。三人とも額に穴があいている。
「悔しい。いったい誰が?」 
 突き止めたいが、すぐにでもこの場を離れたほうが賢明だろう。瑠依は、黒のメタリックのドラッグスター400にまたがった。静まりかえった真夜中の埠頭に、バイクのエンジン音を響かせて、走り去った。

 新宿の雑居ビル三階にあるバー「ヴィオレッタ」に戻ってきた瑠依は、気を鎮めるためブランデーグラスにヘネシーを注いだ。このヘネシーは先週、隣でゲイバーをやっている竹子ママが差し入れてくれたものだ。
 二十五歳で瑠依が新宿にこの店を開いてから三年になる。壁に掛かった絵を見ながら、瑠依はグラスを持つ。そして視線は、左手の潰れた小指に移っていった。
 父は若くして注目を浴びた日本画家だった。絵の才能には恵まれていたのだろうが、世間知らずで、所帯をやりくりする母の苦労は絶えない。そんな父を酒とギャンブルで狂わせ早死にさせたのが、多くの作品をタダ同然で買い占めた悪徳画商の鮫島万作だった。
 父の葬儀が終わった夜、鮫島は手下を連れ、借金のカタだと言って家にある作品すべてを取りに来た。その時、六歳の瑠依は一枚の絵を抱きしめ、鮫島の要求に首を振る。   
「往生際が悪い娘だね。それも渡しなさい」
 鮫島はいつも持ち歩いているステッキで瑠依の左手を叩きつけたが、倒れながらも絵を離さなかった。すぐに手下の連中が奪おうとしたが、幼馴染のケンちゃんが、彼らに飛びかかって瑠依を守ってくれた。母も「帰って! 警察を呼びますよ!」と気丈に振る舞う。
「仕方ないですなぁ……」
 諦めきれない鮫島は、瑠依の左の小指の第一関節にステッキをあて、力いっぱい押し付けて潰した。そして、不敵な笑みを浮かべる。
「これで、お前が何処にいてもみつけられる。必ず、その絵はもらいに行くからな」
 母は泣き叫ぶ瑠依を抱き上げ、鮫島に向かって叫んだ。
「いつかきっと、あなたを殺しに行く!」
「いつでも来なさい」
 鮫島は、高笑いしながら絵を一枚だけ残して引き揚げて行った。
その後、ケンちゃんとの消息は途絶え、母は鮫島への復讐を心の糧にして、過労で倒れるまで働き続ける。瑠依は高校を中退し、年齢を偽って夜の世界へ足を踏み入れた。
「ケンちゃんは今頃、何をしているのだろう」

 空になったグラスにヘネシーを注ごうとした時、ボトルの底に「盗聴器」が取り付けてあるのを見つけた。もしかと思い、瑠依が調べてみると受話器にも、あった。
 昨日の鮫島からの電話も聞かれていた?
「お前のことを探したよ。でも小指にしるしをつけといたから、やっと見つけられた」
 鮫島によると、父の絵は最近、信じられないくらいの高値で取引されていると言う。
「威勢のいいお母さんは病気で亡くなったんだって? 残念だったね。私を殺す前に死んでしまって」
 鮫島は、壁に掛かっている『青いドレスの母を描いた絵』に今なお執着している。
「その絵を持って、明日の深夜一時に、第三埠頭に来なさい」
 瑠依にとって、やっと復讐の機会が訪れた。この日のために、秘かに射撃の訓練を重ねている。闇ルートで買った拳銃を皮のジャケットに忍ばせて、瑠依は第三埠頭に向かった。

「まさか、竹子ママが――」
 その時、「ヴィオレッタ」の扉が開いた。
「瑠依ちゃん、やっと気づいてくれたのね」
 化粧の下の顔は、ケンちゃんだった……。

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