コンテスト参加作品(2)
『したたかな女』
ヒロ
「若菜、お久しぶりね」
 その声を聞くのは、二十年ぶりだった。
 大学卒業後、初めて出席した同窓会で安田若菜は、麻美から声をかけられた。
「若菜は和服が似合うわね……。私、彼と別れたの。子供が出来なかったし、姑とも上手く行かなかった。あの頃、私も彼を愛していたのよ。ごめんなさいね」
「幸せに暮らしていると思っていたわ。お元気でね」
 若菜は、そうとしか言えなかった。

 学生の頃、内気な若菜を、しっかり者の麻美が何かとフォローしてくれた。若菜も麻美を面倒見の良いお姉さんのように頼りにする。
 そんな時、若菜は、麻美に誘われて参加した集会で一学年上の渡辺司と知り合った。育ちの良さがうかがえる温厚で誠実そうな彼と一緒にいるだけで、包み込まれるような安心感を覚え、若菜はたちまち司に夢中になった。
 しかし、京都で名代の老舗料亭『右近』の一人娘である若菜に、店の調理師、森慎一郎との縁談が持ち上がったのも、この頃だった。
 家に帰れば毎晩のように、森との結婚を真剣に考えるよう父から意見される。
「卒業したら森と結婚しろ。彼になら、右近を任せられる。料理人としての腕も超一流だ」
 三代続いた店の将来も、娘として気にかかる。麻美にだけは、悩みをすべて相談した。
「家業の未来も大事だけど、若菜自身の人生なのよ。後悔の無いようにしなくちゃね」
 若菜にとって、この上もない親友の言葉だ。
 大学を卒業して大手商社に就職した司は、両親に若菜を紹介した。数年先には、海外勤務が決まっている。
「付いてきてくれるね?」
 司の言葉に、若菜は思わず「はい」と答えた。
 だが、自分の両親には司のことを話せないままだ。若菜は、いよいよ切羽詰まった。
 卒業式の日、謝恩会で遅くなるから麻美の家に泊まると嘘をつき、若菜は初めて司と一夜を共にする。
 しかし、なぜかその後、司と連絡が取れなくなった。二人の縁が、急に切れたのだ。
 司から電話があったのは、あの夜から二か月ほど経った頃だった。
「『決まった婚約者が他にいる』と、どうして早く言ってくれなかった。僕は君から直接、聞きたかった。あまりに惨めで悔しいんだ」
「そんなこと、誰が言ったの」
「誰から聞いたかは、言う必要もないだろう」
 なぜ突然に連絡を絶ったのか、若菜が問うても司は聞く耳を持たない。若菜と森との関係が、大きく歪曲されて司の耳に入れられたのは明らかだ。
 この瞬間、あの麻美が、もう親友ではなくなった……彼女はとても、したたかな女だったのだと、若菜は気づいた。
「そんなに、森との結婚が嫌なのか?」
 長い間、憔悴しきっている娘の様子を心配して、たまらず両親が声をかけて来た。
 若菜は意を決して、大きく首を振った。
「いいえ。私、森さんと結婚するわ」

 あわただしい挙式を済ませ、森慎一郎は、安田家の入り婿になった。若菜にとって、八歳上の、まるで優しい兄に守られているような新婚生活が始まる。
 当時、早産だと心配されたが、可愛い元気な男の子を授かり、その慎太郎が二歳になった頃、麻美と司が結婚したと、若菜は風の便りで知った。
 今も夫は優しくて、大学生になった一人息子、慎太郎とは本当に仲の良い父子だ。
 料亭『右近』の評判も良く、経営が順調なのは四代目を継いだ夫の手腕に由るところが大きい。

「うふふ」
 自然と笑みがもれた。
 同窓会の帰り道、若菜の脳裏に、慎太郎の顔が浮かぶ。その顔立ち、体型、性格までもが二十年前の司と瓜二つに似てきている。
 若菜だけが味わえるこの歓びに、家路を急ぐ足が思わず弾んだ。
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