コンテスト参加作品(6)
『レトロな映画祭』
美以
 帰宅すると郵便受けに、わたし宛の手紙が届いていた。東京の消印で、封筒の裏を見ると名前だけが記されている。「オーソン」。
 わたしの胸が、激しく波を打った。
 居間に入って封を切ると、中から「名古屋東宝・洋画名作映画祭」のリーフレットだけが出てきた。来週に予定されている上映プログラムは、1940~50年代の名作映画ばかりで、その中に『第三の男』も入っている。
 この手紙は、わたしにとって青春時代に還ることができる夢の案内状なのかも知れない。 
 若い頃、わたしは彼と名古屋東宝で『第三の男』を観た。あれから、半世紀以上も経つのだ。そんなに人生を送ってきた気はしないけど、振り返ると確かに遠い昔のことになる。

 同じ高校を出て東京の大学に行った彼と、地元大阪に残って就職したわたしは、中間地点である名古屋で、よくデートをした。
 この日は、話題になっている『第三の男』を観ようと映画館で待ち合わせをしていた。しかし、彼は現れない。上映開始の時間になり、仕方なく、わたしは館内に入った。すでに場内は満席で、ひとり、壁際に立ってスクリーンに見入った。
 二十歳になったばかりのわたしは、大人の匂いを醸し出す役者たちに圧倒される。オーソン・ウェルズも渋くていいし、ヒロイン役のアリダ・バリは格別な魅力に溢れていた。ラストシーン。チターがテーマ音楽をトレモロで響かせる中、並木道にたたずむ男と目を合わせることなく去っていく彼女の後ろ姿は、画面がFinになっても脳裡から消えなかった。場内を出たわたしの歩き方が、ヒロインのそれになっていたのだろう。
 後ろから「アリダ・バリみたいだね」と声をかけられた。振り返ると彼が立っている。新幹線が遅れて、映画は途中から観たらしい。
「これから、君のことをアリダと呼ぶよ」
「だったら、あなたはオーソンね」
 彼が卒業後、そのまま東京で就職したこともあって、わたしはかねてからプロポーズされていた職場の先輩と結婚する道を選んだ。
 十年ほど前、喪中の葉書をもらって、彼の奥様が病死したことを知った。それ以来、お互いの音信も途絶えていたのだ。

 一週間後、わたしは「名古屋東宝」に向かった。映画館の入口まで来ると、大勢の人だかりができている。みんな、レトロっぽい。
 久しぶりに会う彼の顔を、わたしはわかるかしら? 長い時間に浸食されて、人は信じられないほど、その相を変える。
 が、彼はすぐに見つかった。もぎり嬢の近くに立ち、辺りを見回している。髪が白くなり、背筋が緩んですっかり老人になっていたが、あの立ち姿の雰囲気は昔と何も変わっていない。思わず駆け寄って、「わたしよ!」と叫びたい衝動に、自制心が強く働いた。
 今朝、わたしは軽い気持ちで新大阪から新幹線に乗ったわけではない。初めは、こんなに変わり果ててしまったわたしの姿で対面するのが憚られたので、名古屋に行くつもりはなかったのだ。しかし、一目でいいから「今の彼」を見てみたい。日々、その思いが大きくなって、とうとう抑えきれなくなった。
「そうだ。会わなくて、見るだけでいい……」
 三年前、高速道路で事故に巻き込まれ、運転していた夫が即死した。助手席のわたしは一命を取りとめたが、顔にひどい傷を負ったのだ。整形外科の名医のおかげで蘇ったが、今、わたしはまったく別人の顔に変っている。
 チケットを買い、さりげなさを装って、彼の前を通り過ぎる。もぎり嬢に券を渡して、中に入った。
「アリダ……」。後ろから、呼び止められた。
「僕だよ」。振り向くと、そこに彼がいた。
(なぜ。オーソンは、わたしだと気付いたの?)
「君の歩き方は、昔と少しも変わってないね」
 わたしは、その場で泣き崩れた。
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