コンテスト参加作品(7)
『味の虜(とりこ)』
果伊江
 湯気の立つだし巻き卵をシソの葉に乗せ、大根おろしを添える。みそ汁の具は豆腐とオクラ。薄く切ったミョウガを散らし、青紫に漬ったナスを切る。
 サケが焼き上がったころ、哲也が起きてきて、パジャマのままテーブルに着いた。 
「おはよう」
 愛美が明るく言ったが、哲也は無言でテレビを観ている。機械的に箸を動かしていた哲也は、朝食を半分以上残して席を立った。
 哲也が着替えている間に、愛美は弁当を包んだ。中身は、しば漬けを細かく刻んだおにぎりととんかつ。肉はフィレの部分をからりと揚げて、ソースは別に詰め、彩にブロッコリーとミニトマト、ポテトサラダを入れた。
 手渡すと、哲也は乱暴に弁当箱を鞄に押し込んで、会社へ行ってしまった。
 愛美はぼんやりと玄関に立ったまま、自分を着飾ってばかりいてまともに料理を作らなかった母親や、よその家に入り浸りほとんどうちに帰って来なかった父親のことを思い出していた。あれでも大恋愛の末の結婚だったという。
 あんな風にはなりたくない。
 それならどうしよう。考えて、美味しい料理を作ることにした。男は愛情より料理。胃袋を掴めば浮気はしない……と思った。
 ところが結婚して三年が経ち、哲也の様子がおかしいことに気がついた。頻繁に夕食を食べて帰ってくるし、休みの日も出かけることがある。浮気をしているのだろうか。       
 先日は弁当箱が洗われていた。哲也がそんなことをするはずない。どこかの女に洗ってもらったに違いない。
 問い詰めると逆切れされた。
 愛美は嫉妬の炎を燃やしながら、より一層料理作りに心血を注ぐようになった。
 今晩は哲也の好きなパスタにしようか。そろそろ栗の出る季節だから栗ごはんもいい。そう考えていたら、哲也からメールが届いた。
“今日は上司と食事。晩飯いらない”
 一体、哲也はどんな料理を食べているのだろう。胸の奥がざわつき、平静ではいられなくなった。
 夕方になると愛美は、きっちりとメイクをして家を出た。哲也の会社は都心のビルにある。入り口付近で隠れて待っていると、ビルから哲也が一人で出てきた。
 やっぱり上司と食事なんて嘘だ。
 愛美が跡をつけていることに気づかずに、哲也は近くの、みすぼらしいアパートに入っていった。
 愛美はドアの前に立ち、中を窺った。
 哲也が美味しそうにご飯を食べている姿を思い描くと、頭に血が上る。
 愛美はドアを激しく叩いた。
「はい、はい、誰?」
 ドアを開けたのは哲也だった。愛美を見て「なんでここに?」と、驚いている。
 部屋の奥から匂いが漏れていた。
 これは……、この匂いはもしかして……。
 哲也を押しのけて部屋に上がる。
 リビングの真ん中にある炬燵タイプのお膳には、カップラーメンが食べかけの状態で置かれていた。向かい合う形で見知らぬ女が座っている。愛美より若くもなければ、美人でもない。どこにでもいる太ったおばさんだった。
 一生懸命、毎日の料理を作ってきた。それなのに、哲也を虜にしたのは、こんな女のカップラーメンだったなんて。
「く、くやしい!」
 愛美は叫んだ。
 すると女は立ち上がった。ぷっくりと肉のついた頬にはソースが付いている。
「すみません、奥さん。哲也さんとは何度も別れようと思ったんです。……でも、どうしても、できなかった。哲也さんのお弁当が美味し過ぎて……」
 女の前には、愛美の作った弁当があった。
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