コンテスト参加作品(8)
『老いの夏』
かっちゃん
『めくるめく恋に恋する老いの夏』
 忠雄の母「たか」が九十五歳で死んだ。あの聡明だった母も最期はボケ気味で忠雄を兄と間違える始末だった。二人の姉、兄、妹たちと一緒に実家の整理にかかった。テレビの横に俳句帳が三冊残されている。
 母は七十歳を過ぎた頃から俳句に傾倒した。句帳には二千句ほどが手書きで記されている。兄や姉は句帳をゴミ箱に捨てようとした。
「待てっ、おかんが書いたもの、なんとか残さなあかんのと違うか……」
 忠雄は自宅に持ち帰った句帳の整理に取り掛かった。二千句は読むだけでも大変だ。苦労の末母の好きだった藍色の表紙に製本した句集は、住所録にある人たちに送りつけた。
 句集の中で忠雄がどうしても忘れられず、頭に残ったのがこの句である。
 父は母が四十三歳のとき死んだ。交通事故の後遺症だった。母は書店のパートに就職し、五人の子供が大学を卒業するまで働き続けたのだ。五人の結婚式にまで気を配った。この句は子育てのすべてを完了し、解放された母の偽りのない気持ちなのだろうか。あの磊落に何事も笑い飛ばしていた母がこんな句を作る心境になっていたとは……母にも母の人生があったのだと、頭では理解できるが、実際にこんな句を作ったとは忠雄にはどうしても信じられない。
 九十五歳まで生きた証の品は多い。一人暮らしだった実家には衣料品や小物が部屋いっぱいに散らかっている。後日、忠雄は一人で実家に泊まり、再び整理にかかった。
「どなたかおいでですか」
 玄関から男の声が聞こえた。出てみると八十歳後半の老人が杖に身を任せて立っている。
「何か御用ですか」
「おたかさんがお亡くなりになってまだご挨拶もできていません。仏さんにお参りさせていただけませんか」
 仏壇の前に案内する。男は長いこと合掌し、母の写真に見入っていた。
「どちらさんですか」
「申し遅れました。私は大山光雄と申します。長く小学校の教師をしていました。定年になり、市民郷土史研究会に入ったのです。その会でおたかさんと知り合いました。年齢は私が五つほど下ですが、おたかさんとお会いするのが楽しみで研究会に通っていました」
「母がそんな会に入っていたなんて知りませんでした」
「私は早くに妻を亡くし、おたかさんもご主人を若くして亡くされ、共通する思いがあったせいでしょうか、研究会以外でも、事あるごとに一緒の時間を過ごしました。おたかさんとの交際は楽しいことばかりでしたよ。十七、八年前には二人で九州の由布院まで旅行しました。おたかさんは気が向けばどこにでも立ち止まり、俳句を捻っていましたね。本当に初冬の風情を満喫した楽しい旅でした」
 知らなかった母の年老いての暮らしが語られる。やっと心の余裕ができた時にこの大山さんとめぐりあえたのか。七十歳を過ぎ、再び女に目覚めたのか……忠雄はしらずしらず冷たい視線で大山さんを観察する自分に気がついた。これまで女としての母を思ったことはなく、いつも、ただただ敬愛する母親だった。その母親が少し距離をおいた存在になってしまったように思えたのだ。
「これは母の句集です」
 大山さんは忠雄が差し出した句集を1ページ目から丁寧に目を通す。やがてその眼から涙が滴り落ち、膝を濡らした。
 ーー子供が一人前になり、母親の責任を果たしたので、女としての情念が蘇ったのに違いない。子供としてとやかく言える筋合いはない。母の女としての人生を自分たち子供が奪ってしまっていたのだーー忠雄はそう思うと仏壇の写真をじっと眺めた。額縁の中で母ははにかみながら笑っていた。
 句集を抱きながら大山さんは帰っていった。
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