コンテスト参加作品(9)
『目にしたものは』
てる
「許してくれ!」
「何度、その言葉にだまされてきたことか」
 塾からの帰り、健太は近道をしようと神社に入ったところで、言い争う大人の声を聞いた。思わず、境内を覗いてみる。
「そんなつもりはなかったんだ」
「いや、今日という今日は許せん!」
 暮れも押し詰まった午後七時といえば、あたりはもう真っ暗だ。しかし、健太にとっては聞き慣れた声だった。(父ちゃん……)。
 父親の吾郎と、喧嘩をしている相手は神田のおっちゃんであることに気づいた。二人は幼馴染で、四十歳になった今も大の仲良しのはずだ。なのに何を激しく揉めているんだろう。健太の心臓はバクバクしてきた。
「ギャーァ!」。悲鳴があがり、おっちゃんが倒れた。父ちゃんは手に何か刃物を持って、呆然と立ち尽くしているようである。
 健太は、もんどりうって、ころがるようにその場から逃げた。

 家に帰ると、家業の文具店は閉まっていて、台所では母親の恵美が夕食の支度をしていた。
「健ちゃん、どうしたの? 顔が真っ青よ」
 健太を見るなり、恵美が心配そうに尋ねる。
(見てはいけないものを、僕は見てしまった)
 健太は、今、目撃してきたことを正直に吐き出そうかと思ったが、小学校四年の子供でも母親を悲しませてはいけないという気持ちが働いた。「ちょっと、おなかが……」
「夕飯、食べられるかしら?」
「いらない。今日は、もう寝るよ」
「アハハハ」。三歳下の妹、ルミがソファに寝転がって漫画を読んでいた。
(何も知らない、のんきな奴め)
 健太は、重い足取りで二階の自分の部屋に上がった。そのまま、パジャマに着替えてベッドに潜り込む。耳の奥に、先ほどの父ちゃんの怒鳴り声が生々しく蘇ってきた。神田のおっちゃんと何があったんだろう? まして、刃物で刺すなんて信じられない。嘘だ。
 いや、現実を見なきゃ。父親が殺人犯になったら、僕はどうなる。学校へ行ったら絶対、仲間はずれにされるだろうな。この商店街にも住めなくなる。引っ越しだ。転校だ。僕はいいとしても、母ちゃんやルミは大丈夫だろうか。長男として、家族を守らないといけないぞ。考え疲れて、頭がぼ~っとしてきた。
 とうとう、その晩、父ちゃんは家に帰ってこなかった……。

 翌朝、一睡もできなかった健太は、神社の境内をこっそり見に行った。不安な気持ちで足を踏み入れたが、何も変わった様子はない。お昼には、駅の北側にある商店街へ向かった。うちの井上文具店は南側商店街にあるが、おっちゃんのやっている神田骨董店は、こちら側にある。店のシャッターが閉まったままになっていた。「年中無休」のはずなのに、やっぱり変。お父ちゃんが死体をどこかに隠したから、まだ事件になっていないんだ。
 健太は鬱々として、大晦日の一日を過ごした。今晩も父ちゃんは家に帰ってこない……。

 元旦の朝を迎えた。お雑煮やおせちが目の前に並んでいるが、健太は殆ど喉を通らない。
「これから商店街のイベントが始まるよ」
 ルミの言葉に、恵美は健太を無理やり連れ出した。北側商店街の通りを曲がると、賑やかな出し物の声が耳に飛び込んでくる。
「許してくれ!」
「何度、その言葉にだまされてきたことか」
 健太は見た。特設の舞台上でお父ちゃんと神田のおっちゃんが時代劇のカツラをかぶって熱演しているのを……。恵美がにこにこして、健太にささやく。
「父さんたち、このために年末ずっと商工会議所で泊まり込みの稽古をしていたのよ」
 健太は、その場でへたり込んで叫んだ。
「ぼく、お腹、すいたぁ~!」
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