コンテスト参加作品(17)
『枝垂れ櫻』
こちさ
 お寺の今の奥さんは、枝垂れ櫻の私を毎日見上げては、「まだかね?」と心配そうな、それでいて優しい声をかけてくれる。
 コンビニもない田舎の小さなお寺に、枝垂れ櫻の開花を明日か明後日かと、ご近所の人達はこころ待ちにしてくれているのだ。まだ、期待に応えられず申し訳ないと思うが、私も人も「春」を待つ。

 私がこの地に根を張ったのが、いつだったのか。住職は「樹齢三百三十年の名木ですぞ」と言いふらして悦に入っているが、さぁ、自分の年齢なんて数えたことがないからわからない。
 あれは、まだ私が幼かった頃のことだ。
 このお寺に美しい娘さんが嫁いできた。同じ背丈ぐらいに伸びた私の枝を優しく撫でながら、いろんな話を聞かせてくれる。
「昨日はね、子狐が人間の姿をしてやってきたの。裏山に住んでいることは知っていたけど、木綿の絣を着た男の子の恰好で、それはだれも気付かなかったわ。お寺の檀家さんのお供えを銜え取って、素早く逃げていくときには、もう子狐の姿に戻っていたのよ。よほど、お腹が空いていたのでしょうね」
 季節がいくつか巡ったある日、このお嫁さんは里へ帰らされた。子が出来なかったらしい。私は、再び逢いたいと願ったが、それは叶わなかった。

 成長期に入った私の幹は、天を突くように伸びていく。そのぶん、枝葉は自分の重みに耐えかねて地面に垂れ下っていった。
 ある雨の日、雅代さんという、このお寺の若い奥さんが私に額を寄せて涙を流した。
「とうとう、夫に召集令状がきたの。いま、お腹の中に子供がいるのよ……」
 その後、住職は戦争に往き、南方で戦死した。残された雅代さんに男の子が生まれたが、流行り病であっけなく、この世を去った。
 国中の人たちが今日を生きるのに必死な時代。私の幹は乾いて、てんとう虫やムカデの棲み家となり、枝は萎れて花芽の数も減る。立っているのが、やっとの日々だった。
「戦争が終わったら平和が来るわ。あなたも辛抱して、その時には美しい櫻を咲かせてね」
 雅代さんは、こんな言葉を残して、荒れ放題のお寺に別れを告げ実家へと戻っていった。

 このお寺の住職は何代、替わっただろう。
 庭師が私の手入れをしてくれるような、平和が訪れたのは、つい最近のことのように思える。その安穏さにかまけて、私も自分の老いを感じるようになってきた。
 それでも毎年、春が来ると道行く村人が私の咲き具合の品定めをするから、気合を入れないといけない。するとまだまだ、天辺は本堂の屋根を覆い隠すぐらい、垂れ下がった枝花は地面の土を掃くぐらい、威容を保つことが出来るので、なんとなくホッとしてしまう。
 秋の私は赤く染まって櫻紅葉と賞される。やがて、冬一番の風が吹き、枯れた葉は庭先に落ちて分厚い絨毯となる。住職や奥さんは、こうぼやいてやまない。
「もう連日、朝の苦行をやらされているようなものです。この櫻がすっかり裸木になり、境内の落葉掃除から解放される頃に初雪が降って、私たちは新年の準備時を教えられます」

 年が明けると、住職と奥さんは「春」が待ち遠しくてたまらない。それも今年は格別で、都会へ嫁いだ一人娘が、年末に産まれた初孫を連れて帰省することになっていると聞く。
「実家の枝垂れ櫻を赤ちゃんに見せたいもんね」なんて、あの洟垂れだった一人娘が生意気にも嬉しいことを言ってくれているらしい。
 みんなが集う「春の開花」を一番楽しみにしているのは、実は、この私なのだろう。
 新しい生命との出会いが、年老いた私を長生きさせてくれることを知っているから……。
clipimg