コンテスト参加作品(18)
『アルゴスへの祈り』
 この町にアルゴスという牛がいたことに、『彼』の生涯に、人々は祈りを捧げる。

 むかしこの町は、国王の娯楽であった闘牛で栄えていた。大きな競技場があり、そこでは連日のように、牛と牛とが闘っていた。
「若造、出直してこい!」
 アルゴスは真っ向から相手に体当たりして、言い放つ。鋭くて太い角を持っている巨体のアルゴスは闘牛界の王者であった。彼の強さは国中に知れ渡り、国王の耳にも届いている。
 この国の闘牛は、勝った牛の飼い主に賞金が与えられる仕組みになっていたため、アルゴスを飼う、カミロという男に金が入った。
 全盛期が過ぎて、アルゴスは父親になった。
 そこで欲深いカミロは思う。血を受け継ぐ子どもは、父親よりもっと強くなるだろう。
 しかし何時まで経っても、子牛は虚弱なままで大きく育たなかった。業を煮やしたカミロは、その体質を改善させるため、筋肉を発達させる薬――副作用として神経に異常が出ると言われる劇薬――を餌に混ぜ、与え続けることにする。
 やがて、子牛は立つことができなくなった。
 濁った瞳で苦しそうに横たわる我が子に、アルゴスは悲しく寄り添っている。
「もうダメだな。いつまでも高い薬代がかかって、勿体ない。早く楽にしてやるぞ」
 カミロはそう言って、子牛に銃を向けた。
 我が子の危険を察したアルゴスは、前足で柵を蹴破り、カミロに向かって行った――。
 後日、足の骨を折っただけで命拾いをしたカミロは子牛を射殺する。飼い主に歯向かったアルゴスも、まだ稼げる金はあるだろうが、一緒に殺すつもりに。ところが、国王から「アルゴスの最後の闘いを見せよ」と命令が下る。
「運のいい奴め。始末は、試合後にしてやる」

 試合の日、アルゴスの姿を一目見ようと、町は人で溢れた。国王も側近を連れ、酒を呷りながら、見晴らしのよい貴賓席に陣取る。
 相手の若い牛と元王者アルゴスが現れ、競技場は割れんばかりに大きく湧き立った。
 砂煙の中を二頭の牛が頭からぶつかり合う。
 若い牛の組み合う力は桁外れに強い。アルゴスは思わず相手を見た。瞳が酷く濁っている。「我が子と同じ目だ……」。そう感じた瞬間、尖った角がアルゴスの首を突き刺してきた。鮮血が滴り落ちる。なおも突き続ける相手に、アルゴスは必死で踏み留まっている。
「アルゴス、もっと楽しませろ! 老いぼれは、そのために生かしておいたんだ!」
 酒に酔った国王はカミロを従え、最前列に降りて野次をとばす。会場の熱気は最高潮だ。
 アルゴスは力強い突きに全身で耐えながら、我が子と同じ運命を辿ろうとする若い牛に言った。「俺の敵は、お前じゃない」。次の瞬間、アルゴスは身を捩り、相手の脇腹を深く突く。
 若い牛は横たわったまま、動かなくなった。
 一斉に歓声が上がる。アルゴスは、朦朧とその声を聞きながら、滴る血で赤くなった土を蹴った。闘うべき本当の敵は、まだ倒していない。アルゴスは最前列へと突進した。
 カミロを一撃で斃すと、腰を抜かしてガタガタと震えている国王へ角を振り向ける。
 そこで、側近たちの銃撃を受けた。
「俺たちは、人間の金儲けや道楽のために生まれてきたわけじゃない……」。この呟きと共に、アルゴスは我が子の元へ静かに旅立った。

 アルゴスの首は、国王に反逆した罪で見せしめとして晒された。だが、町の人々は目を逸らして黙って通り過ぎるだけ。そこにひとり、老婦人が立ち止まり、花を捧げて祈った。
「立派な、死に顔だね」
 毎日、祈り続ける彼女の姿に、足を止めてアルゴスに目を向ける人々が出始めた。見たものは皆、アルゴスから目が離せなくなる。
 大切なもののために闘い、死を受け入れたその顔は、とても穏やかで、美しかった。
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