エッセー
『酒と桜と病院と』
昭子
 お酒の好きな父は、ちょうど満開だった桜の見える病室で、四月一日に亡くなった。
 父は外科の開業医だった。
 私は娘時代、その父の経営する病院で栄養士として働いている。特別な食事療法を必要とする入院患者は多くなく、私は自分の好きなように献立をつくることが出来た。
 ある日、おじいさん患者がベッドの上から父に願い出た。
「夕食にお酒があったら……」
 酒好きな父は、その気持ちがよく判ったらしく、私を別室に呼んでこっそり命じる。
「あの患者さんのお膳に、目立たぬようにお酒をつけてあげなさい」
 栄養士は、何であろうとすべて“医師の指示”に従わねばならない。私は蓋のついた深い湯呑茶碗に熱燗を入れて食事に添えた。傍からは、お茶にしか見えない。このお膳がそのまま病室へ運ばれていくのを見送りながら、私は一人で微笑んだ。
 翌日、「あのおじいさんね、とても喜んでたよ」と、父は嬉しそうに私に報告してくれた。

 私は結婚してすぐに岩国市の実家を離れ、二十年間、大阪で暮らしていたが、そこへ報せが入る。
「父が倒れた」
 私は帰省し、近くの国立病院に入院している父をほぼ毎日、見舞いつづけた。幸いに病院からは、食事は自由に持ち込んで構わないと許可がでていたので、私は自分が調理して持って行った。
 そんな、ある時。父がいきなり私に言った。
「今度、お酒を持って来いよ」
 父の好物を考えてメニューにすると、どうしても酒の肴のような物が多くなっていたので、父は食事を重ねるうちに「これにお酒があったらなぁ」と思い始めていたようだ。私が困り顔をすると「少しでいいんだから」、親指と人差し指で盃の形をして見せた。
 この病院の廊下にはちゃんと「酒類持込厳禁」の貼り紙がしてある。持ち込めば当然、規則違反をしたことになるのだ。
 間が悪いことに、私は明後日にはどうしても大阪へ戻らないといけない。そこへフッと二十年前の“おじいさん患者”が思い出された。
「よしっ、父にお酒を持って行こう」
 病院から帰ってすぐに、実家の台所のお手伝いさんにお酒を用意するよう頼んだ。
 最後の日。今夜はお酒がある。瀬戸内の春を彩る旬の食材で、いつも以上に腕をふるった。これなら父も喜んでくれるだろう。私はお手伝いさんに運搬用のバスケットに詰めるよう頼んで、自分の身支度をした。
 病院に着き、私は父の前で意気揚々、バスケットの蓋を開ける。
「あっ!」
 なんと、お酒が入っていなかった……。
 期待させたばっかりに父の残念そうな顔が気の毒で申し訳なく、私は辛かった。お手伝いさんが「入れておきました」と言ったのを、そのまま鵜呑みにして、なぜ出掛ける前に私が確認しなかったのか、悔やまれた。
 戻ってから、その人に事情を聞くと「入れておきました」は「購入しておきました」という意味だとわかる。実家を離れて久しい私とは、話が噛み合っていなかったのだ。
 翌日、私は大阪へ帰った。お酒はいつか、他の誰かが食事と一緒に運んでくれると思っていたが、誰もお酒を運んだ人はいなかった。
 つまり、父は私以外の誰にも「お酒を持って来いよ」とは言わなかったのである。
「一緒に仕事をした、あの娘なら判る」と思ってくれたのではないだろうか。「堂々と規則破りが出来るのは、あの娘しかいない」とも……それから間もなく、父は亡くなった。
 お棺に清酒の小瓶が入れられていた。 それを見たとき、私はとても空しさを感じた。自分の患者さんにお酒をつけさせた父は、自分が患者になったときは、好きなお酒を口にすることが出来なかったのだ。
 毎年、春爛漫の季節を迎えると、酒と桜と病院に特別な感慨を抱いてしまう私がいる。
clipimg