『黄色い月』
紅琳
 それはそれは、美しい夜だった。男は夢を見ていた。夢の中にもふわりと柔らかい風が吹き、黄色い月が出ている。
 広い草原には大きな木が立っており、その横に見たこともない衣をまとった女の人がいる。そしてその傍らには自分が立っていた。
 女が言う。「次の黄色い月の夜に、私は死にます」。月明かりに摘んだ黄色い花で、無邪気に花輪を作っているというのに。この女性はずっと以前から、自分にとって大事な人であることが直感できた。
「私が死んだら、私をこの木の根元に埋めてください。そして黄色の月の出る晩にこの花を摘んで、私の墓の横で待っていてください。私はあなたに会いに来ますから。あなた、待っていてくれますか?」
 もうどう言っても、何が何でも決めている様子なのである。
「どのくらい、待っていたらいいんですか」
「千五百年」
「そんな……自分に待てるでしょうか?」
 男の問いに、女は静かに微笑んだ。

 また夢を見た。
 たくさんの鎧武者が戦の最中である。愛馬に跨って男は勇敢に戦ったが、敵に囲まれてしまった。その時、愛馬は前足高く嘶き、敵陣を蹴散らしながら彼を乗せて疾走する。こうして男は、無事に落ち延びることができた。
 草原の大きな木の所まで来た時、愛馬は敵から受けた深い傷で、もう動けなくなった。
「ご主人と居られてとても幸せでした。きっとまた次の世で会いましょう」
「そんな気弱なことを言ってはいけない」
 励ます男の声を聞きながら、馬は息を引き取る。男は近くに咲いていた黄色い花を摘んで手向け、懇ろに弔った。

 また男は夢を見た。
 なぜか男は、店先に並んだ檸檬だった。大ぶりでもない小ぶりでもない、緑がかった濃い黄色の一個である。
 すると、なにやら自分を熱心に眺めている若者がいる。神経質そうであり、何かに困惑したような目をしていた。やがて彼は、ああこれだといったふうに目を細め、店主に頼んで私一つを買って帰ったのだ。
 青年の下宿は大きな木の横の、アパートの二階にあった。部屋に戻った彼は、私から迸る空気に鼻を近づける。右手から左手へと私の重さを何度も何度も確かめ、楽しんでいるようだ。そして若者は原稿用紙に向かうと、なにやら一心に書き始める。何枚も何枚も書いて、疲れて、彼は眠ってしまった。
 私は、寝ている若者の耳元に囁いた。
「この作品が、何百年も残るといいですね」

 随分とたくさんの変わった夢を見たものだ。三つの夢が、不思議と男の記憶に残った。

 その日の夕方、男が仕事を終えて家に帰ると、妻は不在だった。妻がいたら、すぐにあの不思議な夢の話をしようと思っていたのに。 
 しばらくして妻が帰ってきた。見ると、手に黄色い花束を抱えている。
「あなた、帰っていらしたんですね。ああ、この花束? 私、なんだか昨夜はたくさんの夢を見ましてね。不思議な話ばかりで説明しづらいんですけど……。自分がどこかの知らない土地の女の人だったり、馬だったり、作家になったりする夢ですの。その夢の中に出てきた花が妙に印象に残って。帰りに花屋で目についたので、思わず買ってしまいました」
 妻が買ってきた黄色い花を、男は花瓶いっぱいにさした。ふと見上げると、窓には大きな黄色い、まさに、その黄色い月が出ている。
 男は実感した。
「ああ……千五百年は、あっという間だったのだ」


(夏目漱石『夢十夜』を読んだ夜に)

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