『NPО禁煙推進協会』
案山子
「風邪かな?」
 軽く咳込みながらも、良雄は新しい煙草に火を付けた。妻が、睨んでくる。
「いいかげんに禁煙したら。ねぇ、あの塾のこと、真剣に考えてよ」
 良雄はモゾモゾと反論しようとしたが、妻は、たたみかけてきた。
「このままでは、いずれ肺癌になるわよ。私を一人にする気?」
 かくして良雄は「NPО禁煙推進協会」が主催する禁煙塾へ行くためにバスに乗った。

 山の中にポツンと建つ協会の建物で、これから十日間の合宿に入る。今回の入塾者は八人で、最初に一人ずつ面接を受けた。良雄は担当の男性に話した。
「私は現在六十五歳ですが、もう四十年ほども煙草を吸っています。仕事はずっと営業でした。いっぷく吸う間に次の言葉を考えたり、相手の様子を観察したり、私にとっては大事な仕事の道具みたいなものだったのです」
「なるほど、私たちも煙草が全部悪いとは思っていません。中村さんの場合も、煙草と上手く付き合ってこられたようですし……」
「そうでしょう。私は禁煙の必要なんか、本当はないと思っているんです。ちょっと調べたところによると、喫煙者は年々減少しているのに、肺癌になる人は逆に、それも急激に増加しているというじゃありませんか。どういうことなのか……私は、煙草と肺癌は、あんまり関係がないんじゃないかと疑ってます」
 担当者は、急に表情を強張らせ、厳しい口調で良雄に言った。
「煙草が肺癌の大きな原因だというのは、医学界の常識です。あなたのように禁煙から逃れるために屁理屈をこねまわすようでは、この先が思いやられます。しっかりして下さい」
「はい……」
 良雄は、しおらしく頷いた。
 禁煙自体は苦しいが、だんだん慣れてくると塾の生活は快適なものになった。午前中は美人ドクターが、煙草と肺癌の因果関係などを講義してくれる。また、軽い運動をやるための指導員がいるし、食事もホテルなみで、とても美味い。ただ食後にはニコチンが厭になるというドリンクを必ず、全員で飲む。
 たった十日間だったが、良雄は仲間と共に乗り切ったことで満足感を覚えていた。処方された薬を必ず飲むという誓約書にサインし、晴れて良雄たちは禁煙塾を卒業していった。

「NPО禁煙推進協会」の会議室に、数人の男が集まっていた。いずれも自動車メーカーや電力会社から出向してきた者たちである。
「今回の塾生八人は、どうだった?」
「『喫煙者は減っているのに、肺癌の患者が増えているのはどういうことか?』と痛いところを突いてきた中村という男がいましたが、CT検査によると肺癌の初期が疑われるという段階です。薬を危険人物配合にしておきましたので、二か月もすれば我慢できず、また煙草を吸い始めるでしょう。他の七人も半年すれば、きれいに元通りです。周囲からは“意志の弱い人間だ”と見られるだけで、当塾に不審の目が向くことはありません」
「我々は、肺癌の発生は煙草を吸うからだという世間の常識を、崩されないようにしなければならない。極端に喫煙者が減れば、そのナカムラが指摘したようなことを、大衆の多くが気付くようになる。そうなると次に、我ら自動車や火力発電の排気ガスが、攻撃されることになるだろう。それは絶対に避けなければならない。煙草の害を表で強調しながら、裏では喫煙者を減らさないという難しい仕事だが、皆で力を合わせてがんばっていこう」

 それから一年余り、完全に良雄は禁煙に成功していた。その効果はてき面で、変な咳もすっかり治まったのだ。
「せっかくもらった大事な薬を帰りのバスで失くして、数か月は苦しかったけど、本当によかった」
 今、良雄も妻も「NPО禁煙推進協会」には、心から感謝している。
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