『洞窟のイシビ』
コウ
 アグトと三人の仲間が、その一族の洞窟を出発してから丸一日が経つ。朝から急に吹雪となり、彼らは今、膝まで埋もれそうな雪道を一歩一歩、風に逆らって進んでいた。
「頑張れ。もうすぐセキの連中の洞窟だ」
 大柄なアグトが励ます太い声も、風のうなり声に、たちまち掻き消されていく。
「これだけの毛皮を着ていても凍っちまいそうな寒さだぜ。なあ、本当にセキの奴らは、イシビを分けてくれるのか?」
 弟分が、石槍を杖代わりにして懸命に歩きながら、大声でアグトに尋ねてきた。
「わからん。だが、セキの連中は昔、わしら一族に火を教えてくれたと聞いている。それに何としても分けてもらわんと、女子供たちが凍えて死んでしまう。頼み込むしかない」
 毎年、冬が長く、厳しくなっている。火を燃やし続ける薪がもう、手に入らない状況だ。セキ部族が持つ、薪のいらない火「イシビ」とやらがなくては我が一族が全滅しかねない。

「吹雪の中を、ようここまで来なさった」
 洞窟の真ん中に座るセキの部族長が言った。アグトたちは、丸く広いセキの洞窟で、長と向かい合っている。四十人ほどいるセキの連中も遠巻きに座って、こちらを見ている。
(暖かい! ここは、火に何の不自由もないのだ)
 セキの洞窟は春のようだった。
 アグトは、洞窟の隅に奇妙なものを見た。
 両手で持てるくらいの四角く黒い石が、人間の背丈位まで煙突状に積み上げられている。その中では真上に向かって熱気が噴き出しているようで、上に乗せてある大きな土器からは、湯気が滾々と沸き立っている。
 長が命じると、セキの女がそこから湯を汲んで小ぶりの器に移し、四人の前に置いた。
(彼の話は本当だったのか!)
 アグトは、かって獲物を追って旅をする流れ者の狩人から聞いた話を思い出した。
 はるか遠くの地には「燃える黒い石」があり、それはとても便利なものだが地中深くに埋もれているため、滅多に見つからないのだ。

「済まんが、イシビは分けられん」
 長の声が聞こえ、アグトは視線を戻した。
「そもそもイシビは分けることができん。あれはひとつしかないもので、わしらにとっても命と同じほど大事なのだ」
「待ってくれ。イシビが燃える黒い石だということは知っている。そこに、あれだけたくさん積み上げてあるのだから、ひとつくらい分けてくれてもいいだろう」
 長は驚いたような顔をしてアグトを睨んだ。
「燃える黒い石? 何のことだ。イシビは、そんなものではない。それにとても危険なので、よそ者は絶対に触れてはならんのだ」
 長が、とぼけるのも無理はない。それだけ貴重なものを、付き合いの薄い我が一族に分け与えてくれるはずもない。
 アグトは覚悟を決める。彼は右脇に置いていた石槍を掴むやいなや、目の前の部族長の身体を貫いた。仲間も一斉に立ち上がった。

 吹雪が増す中、アグトは雪道を必死の形相で駆けていた。懐には、革袋に収めた「イシビ」がある。仲間はみんな、セキの連中と戦って死んだが、本望だろう。
 あの狩人の言った「黒い石」は間違っていた。本当の燃える石「イシビ」は、煙突状に積み上げられた黒い石組みの中に置かれていたのだ。そして、それは黒ではなく灰色で、驚くほど小さく、軽く、しかし人間の手では持てないくらい熱い。
(早く、我が洞窟に戻って、みんなを喜ばしてやろう……)
 しかし、ふらつく身体が妙に重く、足が進まなかった。
 アグトは当然、知らない。
 燃える石「イシビ」は、この新たな氷河期の間も燃え続け、しかし、熱と共に吐き出される放射線は、黒い石で防がない限り、まわりの人間を半日で死に至らしめることを。

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