『書きかけのレポート』
亮子
 熱にうなされていた。扁桃腺が腫れて唾も飲み込めない。豆電球の光をただじっと見つめていた。なにやら黒い影。じっと目を凝らすとハシゴのようなものが電球から出て人の形をしたものがぶら下っている。「なんだ?」
 次の日の朝、身体に気だるさだけは残っているが頭は随分スッキリしていた。ゼミのレポートを明日までに仕上げなくてはならない。単位を落とせば卒業出来ない。三日あれば充分間に合うと呑気に構えていたら、二日前から急に熱を出して寝込んでしまったのだ。期限は厳守である。後悔しても仕方ないが何から手を付ければよいのかさえ分からない。さっきから頭をグルグルするのは言い訳ばかりだ。自分のこんな性分を心底恨めしく思い、後悔した。
「時間を戻してやろう」
 耳元で誰かが囁く。
「えっ?」
「時間を戻してやると言っているのだ」
 机の周りを見たが書きかけのレポートがあるだけだ。やおら視線を上に向けると、いた。電気の豆球のところ。ハシゴみたいなものが豆電球からぶら下がっている。親指ほどの、黒い服を着た小人が言う。
「俺は、ある星から来たのだ。ワープするには、ここはいい具合の電流でな」
 豆電球を指して話を続ける。
「お前は何をやっても要領が悪い。なので助けてやろう。俺は一応、人間行動学の研究をしているのだ。知的生物だと地球人は言っているが、俺たちからしたら不思議生物以外の何ものでもない。無駄な争いばかりしている」
 黒い小人は一気に語ると大きくため息をつき、更に続けた。
「お前は地球人にしては平和的なのだ。だが、とにかく要領が悪い。だから、今回だけ手伝ってやろうと思うのだ」
 薄気味悪いし、何より、ずっと上から目線で少し腹が立つが、背に腹は代えられない。
「わ、わかった。何を手伝ってくれるの?」
「俺はレポートやらを手伝う訳にはいかない。なので、時間を二週間前に戻す。風邪をひく前だ。お前は十日前にゴッホの展覧会に行き、満員の美術館で感染したのだ。いいか、レポートが出来るまで外出中は人混みを避けろ」
(なんて素晴らしい提案だ)
 そう思うと同時に意識が遠のいた。

 何時ものように七時に目覚ましが朝を告げた。テレビをつけたら人気の美人キャスターが二週間前の日付を告げた。
「ん……あ、小人。嘘じゃなかった」
 気分は断然、上向きだ。身支度をして玄関を出る時、忘れずにマスクを取り出した。ニヤリと口元に薄笑いを浮かべながら思った。
「今日から、これは必需品。宇宙人最高!」
 人混みは極力、避けた。花粉症が酷くてと友達に言い、常にマスクをしている。ゴッホの展覧会は勿論やめた。
 順調に一週間が過ぎたところでレポートの資料も借りてきた。明日から取り掛かれば余裕で仕上がるだろう。
 いつものバイトを終え、家に帰る角を曲がった瞬間、突っ込んでくる車のライトが目に眩しく光った。

 気が付いたのは病院のベッドだった。頭に包帯を巻いている。白衣を着た医者が満面の笑みを浮かべて告げる。
「やっと目が覚めましたね。もう、大丈夫です。ただ、頭を打って二日も気を失っていましたから、まだ当分は安静にしてください」
「嗚呼、なんて事だ。レポートが出来ない」
 医者が去ると、いつの間にか黒い小人が枕元に立っていた。そして、冷ややかに呟いた。
「俺はあえて二週間前に戻してやったが、結局、何も変えられなかったってことだな。いいレポートが出来たよ。ありがとう」
 そう言うと、窓の外にいたハトの背中にひらりと飛び乗って消えていった。

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