『鳶の沽券』
虹子
 俺は、山陰本線浜坂駅のすぐ近くの山に住んでいる鳶(とんび)である。妻と二羽の子どもを養っている。
 浜坂は寂れた駅で、一日に六本の特急が発着するが、降りる人は、数えるほどだ。しかし、食べるものには困らない。浜坂漁港には毎日大量の魚が水揚げされ、ちょっとぐらい掠めたとて誰も文句は言わない。おかげで子どもたちは丸々と太って、巣立ちの日も近い。

「ねえ、あなた。このごろあやしいわ。毎日、何処へ行ってるの?」
(しまった。ばれたか?)
「それに、少し太ってきたし」
「そうかなあ? 子ども達のために餌を探しているだけだ。気にするな」
 実は最近、俺は駅前の「谷杵屋」の栃餅にはまってしまっている。あんなに美味いものを食べたのは、生まれて初めてなのだ。
 だが、仮にも猛禽類の俺の好物が、甘い餅であるなどと、妻に言えるわけがない。
 鳶の沽券に関わる。

 夏も近づいたある日の午後。俺は子どもたちに餌を与えた後、「谷杵屋」の向かいの電柱の上で獲物を待っていた。すると、派手な帽子をかぶった呑気そうな中年女の二人連れが歩いてきたのが見えた。
「さびしい町やねぇ」
「鳥取まで一時間も待たなあかんやなんて、JRも、もうちょっと考えてもらわな困るわ」
「海まで歩いて十五分と電柱に書いたある。今から往復しても間に合いそうやな」
「ほな、日本海でも見に行きまひょか」
「それはそうと、小腹がすいてきたなぁ」
「ほんまや。あ! ちょっと。こんなとこに、餅屋があるで」
「ちょうどええ。おやつ買うていこ」   
 二人は「谷杵屋」に入った。
 しばらくして出てきたとき、手にはそれぞれ、栃餅の入った紙袋が下がっていた。                            
 ほどなく二人は、浜辺に着いて防波堤の上に腰を降ろした。
「きれいな海やねぇ。上見てみぃ。空には、鳶も飛んでるわぁ。こんなとこで、餅食べるなんて幸せなことやなぁ」
 二人は、餅を袋から出して食べ始めた。
「大きいて柔こうて、おいしい餅やねぇ」
(よし、今だ!)
 俺は、一方の女が食べかけている栃餅めがけて急降下した。
「ヒヤァー。餅とられた。鳶や。鳶に餅さらわれた。虹子さん。はよ食べてしまい!」
(もう一方の女は虹子と言うらしい)
「うん。わかった!」
 虹子が食べかけの餅をあわててほおばった。
「ああ、おいしかった」
「私、半分しか食べてない」
 一方の女が泣きそうに言った。
「それはそうとあなた怪我せえへんかった?」
「大丈夫や。餅だけもって行きよった」
(あたり前だ。俺は獲物しかとらない。人間に爪をかけるようなドジは決してしないのだ)
「ああ、こわかった。こんなとこにおったらろくなことない。はよ帰ろ」
 二人は、駅に向かっていそいそと歩き出し、俺も後を追った。

 半分ほど戻った所で虹子という女が叫んだ。
「イヤァー。帽子がない。昨日買うたばっかりのおニューやのに」
「さっきの鳶が、餅取る時に、ついでに虹子さんの帽子も翼の端にひっかけて飛ばしていったんとちがうか?」
「そうやな、違いない。にくたらしい!」
(バカな。俺は絶対、そんなへまなことはしない。沽券に関わる。帽子は、あの女が防波堤の上に置き忘れているのだ)
 俺は、急いで浜に戻り、派手な帽子を拾って、先回りして駅に向かった。そして、中年女でも見つけやすいように入口の階段の上に落としてやった。俺なりの、餅のお礼だ。 
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