『人形職人の報酬』
ヒョウ
 平成七年冬。島根県松江市の自宅で人形店を営む原田哲男は、「茶運び人形」の製作に日々勤しんでいた。盆を持つ和服童女の人形で、盆に茶を置くと歩く仕組みだ。日本茶で有名な松江にちなんだものだった。そんな折、一通の内容証明郵便が舞い込む。

『警告書 貴社の茶運び人形は弊社の意匠権(出願日:平成六年二月一日)を侵害しています。つきましては、製作の中止を請求致します。何ら対応なき場合は、法的措置を講じる所存です。    近畿玩具社』

 異様な日本語に絶句した。哲男にとって未知の体験だ。寒風吹き荒れる曇天の中、最寄りの法律事務所に作業着で駆け込んだ。
「意匠権は物品のデザインの権利で、原田さんの人形の外観がその権利に触れる可能性があります。まず相手方の権利が実在するか調査するので、数日お待ちください」
 中年の男性弁護士が淀みなく説明するのを聞きながら、哲男は不安に耐えていた。
 
 数日後、弁護士から電話が来た。相手方の権利は存在し、侵害を検討したいと告げられる。店に来てもらい、応接間に通した。
 卓上に相手の権利書類と哲男の茶運び人形を並べて見比べる弁護士の横でそわそわしていると、潤が高校から帰宅してきた。男手で育てた一人息子だ。長めの黒髪を揺らし、冷めた眼で二人の脇を素通りした。
「息子です。すんません、挨拶もせんで」
「後継ぎさんですね」
「いんや、それがねえ、人形作りなんて全然興味ないようで。――で、どげですか?」
 弁護士は声を硬くして応えた。
「残念ながら、相手の権利を侵害してます」
「そ、そげんこと言われても……。もう三年くらい前から作っちょうに今さら――」
「それ、証明できますか?」
 やや早口で唐突に訊かれて返事に窮していると、弁護士が畳みかけてきた。
「もし、相手方の意匠出願日、えーっと、平成六年二月一日よりも前から、この茶運び人形を製作していることを証明できれば、原田さんに『先使用権』が認められます」
「センシヨウケン?」
「人形の製作を継続できる権利です」
「そら助かぁが、どげやって証明すうだ?」
「日付入りの写真や映像はありませんか?」
 哲男は消沈した。写真付きのカタログには日付を入れておらず、映像も存在しない。法律や権利に無知すぎる自分を恨んだ。
 頭を抱えていると、応接間へ潤が面倒くさそうに姿を現した。手に何か持っている。
「いま入ってくんなや。後にしてごせ」
 哲男は吐き捨てたが、潤は何も言わず、手に携えていた写真を卓上に乱雑に置いた。六枚ある。哲男の人形を、正面、背面、平面、底面、右側面、左側面から撮影したものだ。右下に『H6.1.26』の英数字が並ぶ。使い捨てカメラで撮影されたようだ。
「こげなもん、いつの間に」
 思わず口を突いた。潤の口は開かない。弁護士が身を乗り出して喰いついた。
「証拠になりますよ、これ。相手方にこの旨回答すれば、警告を取り下げるでしょう」
 そこまで聞くと、潤は無言で踵を返した。
「よかったですね」
「は、はあ。でも、なしてあいつが……」
「人形の底面まで撮影するとは、よほど興味があるようですね。原田さんの仕事に」
 その言葉に頬を打たれた。再び写真を見ると、童女が温かい眼差しを送ってくる。
 店先で弁護士を見送った後、冬の山陰では珍しい快晴の空を見上げ、哲男は考えた。
 潤には何から教えちゃろうかなあ。

 平成二十七年秋。潤は、人形製作の功労者として国から表彰され、哲男に報告した。遺影の父は、満悦の表情を浮かべていた。
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