『博子さんの愛した株式』
不動
 私は認知症専門のケアハウス『おかえりホーム』のオーナー、山口です。今、我がホーム一番の注目を集めている患者さんは何と言っても、八十三歳の藤原博子さんでしょう。
 彼女は株式で財を築いた女傑としてマスコミに取り上げられるほどの有名人でしたから、私も大いに関心を持ってホームへ迎え入れました。もちろん、VIPルームです。
 
 入所時に付き添ってきた息子さんは、次のような話を私に語ってくれました。
「三年前、父の葬儀があった時に、母がおかしくなりましてね。喪主焼香で、父の遺影に向かって『この人は、私の主人ではありません!』と大声で叫んだのです」
「どんどん痴呆症状が進み、今では自分の名前ぐらいしか言えません。ところが、不思議なことに、永年やってきた株式の売買をする能力が残っているのです。もう、ビックリ」
「母の生き甲斐のためになればと、1千万円をN証券に預け、担当者に電話すればいつでも好きに株式売買が出来るようにしています」
「こちらに入所後も、その資金で、母の自由にさせてあげたいと思っています。全部、損をしても構いません。家の財産は殆ど、母が株式で稼いだものなのですから。でも、ここだけの話ですが、今も半期に五割もの利益を出して私たちを潤わせてくれているんですよ」

 私は博子さんの担当に、優しい介護士で、かつ真面目な浩司君を指名しました。後は、彼がうまくやってくれることを願うのみです。
 すぐに、三十二歳の浩司君を博子さんは気に入ってくれたらしく、「何でも気兼ねなく喋り合える仲になりました」との嬉しい報告が上がってきました。それからは毎日、彼の報告書を読むのが私の仕事です。
「博子さん、一人でトイレに行けるようリハビリ頑張りましょう」
「オシメ、シタクナイカラ、ガンバル」
「株は儲かってますか」
「アベノミクスデ2万円マデキテル。イマ、モウケナイヒトハ、バカヨ」
「株以外で何か、したいことはないのですか」
「ダンナガシテイタウワキ、クヤシイ。浩司君、ワタシトウワキシテチョーダイ」
「僕は妻がいるから無理だけど、三階の橋本さんはイケメンで紳士ですよ。どうですか」
「アンナ、タレナガシノジジイナンカ、ジョウダンジャナイワ」
「それじゃあ、車椅子からベッドに移る時、僕が博子さんをお姫様だっこするのは?」
「ウレシイ! 浩司君ヘトクベツニ、モウカルカブヲオシエテアゲルワネ」

 その後も、順調に報告書が届きました。
 浩司君は、博子さんから教えられた株を買い、半年足らずで倍の利益を挙げたようです。そして余計なことに、彼はこの話をオープンにしたので、アッという間に職員の大半が博子銘柄の株を買うようになりました。みんな、博子さんに尊敬の念を持って注目しています。

 N証券の担当者から私に、逼迫した電話が入ってきました。「もう三日も連絡が無いのは、異例でして……」と心配した声です。私はすぐ、浩司君にオーナー室へ来てもらいました。
「今朝、博子さんをベッドから抱き上げた時、彼女は僕にしがみついて『オカアチャン、ヒロコダメ。モウツカレタ』と泣いていました」
 浩司君の報告を受けて、私は愕然としました。認知症患者の赤ちゃん還り症状が出たのです。それは、愛した人々に恩恵をもたらしてきた博子さんの株式売買に関する能力が、ついに限界を迎えたことを意味します。

 今日、株を買っている全職員に、この悲しい事実を伝え、売却を勧めました。そして、かく言う私も、他の証券会社でごっそり買っていた博子銘柄を全部売るつもりです。
「博子さん、私まで儲けさせてくれて有難う」
clipimg