『謀略』
りょう
 天正十年五月のある日、洛北に位置する草庵で、宗易は客人が来るのを待っていた。
 露地の飛石を踏み歩いてきた草履の音が止んだ。くぐり戸の向こうで男が名乗る。
「宗易殿、秀吉でござる」
「お待ち申しておりました。お入り下され」
 宗易に促されて、貧相な頭を下げながら、秀吉が草庵のくぐり戸をにじり入ってきた。
 そのしどけない様子を見ながら、(この男に大事を託して、本当に大丈夫なのだろうか)と宗易は不安を覚えた。
 しかし、すでに事は進んでいる。今さら引き返すわけにはいかない。
 中国攻めの大役で多忙の身と拝察するので、用件だけを伝えたいとの断りを入れたうえで、宗易は秀吉に告げた。
「明智殿に、謀反の兆しが見えまする」
「左様か。ありうることであるな」
 秀吉は顔色を変えることなく応じた。

 その当時、宗易たち堺の会合衆は、度重なる信長の徴税に悩まされており、その苛酷さは忍従の限界を超えていた。
 そこで、信長の暗殺を企て、その実行役に明智光秀を担ぎ出すことを決めた。
 主な武将は、全国各地の戦に駆り出され、信長の近くにいるのは、光秀のほかにいなかったからである。
 つい先日、光秀に謀反をけしかけ承諾させていた。信長の宿舎、本能寺を攻める計略だ。
 上洛中の家康の供応役を命じられていた光秀が、何がしかの不手際を起こして、信長の勘気にふれた。そのことに乗じた策が功を奏したのであった。
 しかし、彼等にとって光秀は信長と同種の堅物にみえた。つぎは光秀を葬り、御し易い為政者を立てたいと目論んだ。そこで野心家で欲深い秀吉に白羽の矢を立てたのである。

「秀吉殿、事が起こった場合はいかがなされまする」
「仮想のことは、あい分かりかねる」
「起こるとすれば、近い内でござる」
「……」
「堺の会合衆が、秀吉殿にお味方つかまつる。武器も兵糧も姫路のお城に運び入れます。誰よりも先に、仇打ち合戦なされませ」
 秀吉は終始平静を保ち、腹の中を見せない。
「事が起きたら、各地で花火を打ち上げ継いでお知らせ申す。万全の準備をお頼みします」
 秀吉の帰り際、宗易はその後ろ姿に念を押した。秀吉は歩を止め、ようやくうなずいた。

 数日後、秀吉は中国攻めの最前線、高松城にいた。堺衆の企てに乗る覚悟でいる。宗易が信長様にではなく、自分に注進してきた子細を、あれこれ思案の末、得心したからだ。
 さりとて、花火の合図だけで動くのは軽々すぎる。早馬で急報する駅伝体制を敷いた。
 六月二日朝、京で上がった花火が各地で打ち上げ継がれて、高松城に轟音が響いた。
 秀吉はかねての手筈通り、自らの影武者と適当な兵力を残して、姫路城にとって返す。
 途中、早馬が光秀謀反の報をもたらした。
 姫路城には、既におびただしい鉄砲、兵糧、馬などが、堺から届けられている。
 宗易からは名物の棗(ナツメ)に入った茶が贈られていた。添状にはこうあった。
(この茶を点てて、お気をお鎮めなされませ)

 翌年六月、宗易は、光秀を討ち果たし天下統一を目指す秀吉に呼ばれて大坂城に入った。
「宗易、一年ぶりであるな。近う、近う」
 黄金色の茶室で、二人は一時を過ごす。
「秀吉様、祝着至極に存じまする。実は、あなた様に贈った茶には躁になる薬を、光秀殿への茶には鬱になる薬を入れておきました」
 宗易が漏らした言葉に、秀吉は眦を裂いた。
 宗易は点前をしていて、秀吉の怒りを見過ごしてしまう。
 この一件が、後日の宗易(千利休)切腹の遠因になったとの逸話が、今に残されている。



 (歴史上の人物を用いて「創作」しました)

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