「4枚小説」作品『玉蘭の茶』


『玉蘭の茶』
 十七世紀中頃、中国では明から清へと時代が変わろうとしていた。福建省の山間地、桐木(トンム)村にもその余波が押し寄せていた。
 切り立った崖に囲まれたこの村では、畑作は難しく、昔から茶を栽培している。一日の気温差が大きく、高温多湿な気候が深い霧を発生させた。その霧が茶の渋みを取りのぞき、味をまろやかにする。貧しい村人たちは戦の足音に怯えながらも、生活の糧である茶の栽培にひたすら向き合う日々だった。

「媽媽(ママ)、ほら、たくさん葉っぱを摘んだよ」
 玉蘭(ギョクラン)は、十歳になる息子の冬冬(トントン)が自分で収穫した新芽を誇らしげに見せるのを、目を細めて眺めた。もう幼子ではない。すっかり少年の面差しだ。利発さも体格の良さも、同じ年齢の子よりぐんと秀でている。
「私たちの息子は、村一番よ」
 玉蘭は心の中で、亡くなった夫にそっとつぶやく。八年前の大雨の日、夫は茶畑の様子を見に行き、土砂崩れに遭って息絶えた。以来、玉蘭は幼い冬冬を背負い、村の誰よりも早く茶畑に出て、そして誰よりも遅く家路についた。身体を動かしていたら、辛いことが忘れられる。かけがえのない息子がいる。玉蘭はずっと、そう自分に言い聞かせてきた。

 春遅く、新茶の摘み取りはいよいよ大詰めを迎えていた。雨期が来る前に、収穫した茶を納屋に運び、一気に熱を加えなければいけない。玉蘭は村人たちと共に、茶畑と納屋を何度も往復していると、馬の蹄の音が徐々に大きく聞こえてきた。村の男が叫ぶ。
「北方の八旗軍だ。とうとう戦が始まった!」

 組織化された辮髪の兵士たちは、あっという間に村を占領し、納屋に押し入ってきた。玉蘭たちは摘んだばかりの茶を放り出し、自分の家へ逃げ帰ることしかできなかった。
 数日が過ぎ、やがて激しく雨が降り始める。
「納屋の中はどうなっているかしら……早く火を入れないと、葉がダメになってしまう」
 玉蘭は、落ち着かない。
「媽媽、納屋へ行ってみよう。僕も手伝うよ」
「冬冬、何を言うの。お前は絶対に外へ出てはいけません。男の子はさらわれて兵士にされるか、他の村へ売り飛ばされてしまうのよ」
 玉蘭は一人で家を出た。雨が上がり、霧が立ち込めている。兵士たちの姿は、もう無い。きっと次の村へ進軍して行ったのだろう。
 そっと納屋に入ると、玉蘭は驚いた。残されていた大量の茶葉は既に発酵が進んで、赤黒く変色している。声が出ない。集まってきた村人たちも息を呑み「この茶は売り物にならない」と肩を落としている。
 その時、冬冬の叫び声が上がった。
「媽媽、助けて。媽媽!」
 玉蘭が慌てて外へ飛び出すと、兵士の馬に乗せられた息子の姿が霧の中に見える。
「冬冬、待って!」
 玉蘭は力の限り追いかけた。が、ミルク色の霧の中で何も見えなくなり、冬冬の声と馬の蹄の音が遠ざかって行った――。

「この茶はすべて出荷する。お金を作らないと冬冬を取り戻せないから。私は、諦めない」
 玉蘭は悲壮な表情で、かまどに火をつけた。雨期でも燃えやすい松の木を村人が集め、茶の乾燥を助けてくれる。やがて、松の木に燻された茶は深く芳醇な香りを醸し出し始めた。

「この香りは西洋人に好まれるかも……」
 港町から茶を買い付けに来た商人は、そう言って、すべて持ち帰った。この茶は海を渡り、オランダに着く。すぐに爆発的な人気を呼んだ。紅茶の誕生である。
 桐木村では、無事に買い戻された冬冬と共に、玉蘭が今日も茶の栽培に精を出している。


(伝説を基に、創作しました)

clipimg