『桜の空』
ここ
「みんな、いいかい? ちょっと難しいぞ」
 椎原先生が、桜たち五年生の教室を見渡して言った。
 三十人ほどの子供は先生の顔を見て、背筋をスクッと伸ばす。後ろの席で、桜も何だか嬉しくなる。難しいことへの挑戦は、クラス全員の小さな自尊心がくすぐられたのか、みんな、生き生きと胸を張って向き合った。
 白髪まじりの椎原先生は、陰ではおじいちゃん先生と呼ばれている。でも、大きな声でよく冗談を言うし、誰にでも優しいから人気者だ。もちろん、桜も大好きだった。
 今は国語の時間で、外国の物語を先生が読みあげてくれ、みんながシーンと聞き入ったばかりだった。

 ──太陽が沈んで、お母さんの頭上には夜空がどこまでも、どこまでも広がり、星がひとつ、またたいていた──

「こんなふうに、物語の最後は書いてあるよね。さぁ、この作者は何を言いたいのだろう。わかるかな?」
 みんなは、黙り込んだ。そして、視線を天井や黒板に泳がせている。
(あっ、わかった)
 桜が、そう思った瞬間、教室いっぱいに元気な手がいくつも挙がるのが見えた。
「ハイッ」
「は、はいっ」
「はぁ―い」
 先生は、ニコッと笑って嬉しそうだ。
「それじゃあ、勉君」
「えーと、星空がとてもきれいなことを言いたいのだと思います」
「そうだなあ……じゃ、美加子君」
「夜空が澄み切って、とても広いことです!」
「うんうん。次、翔太君はどうだろう?」
「ボクは、星がキラキラと輝いて美しいことだと思います」
 みんなは、それぞれ胸を張って答えた。
「君達は、そう思うか……他には、誰か」
「はぁーい」
 再び、多くの手が挙がる。桜も内心では、早く答えたくてたまらない。でも、気後れするのか、手を挙げる勇気が出ない。
「夜の空は、淋しいことです」
 学級委員の隆が自信を持って答えた。
「おお、いいぞ」
 そう褒めた後も、先生は次々に当てていく。
 その都度、自分の思いついた答えを、誰かが先に言ってしまうのではないかと、桜はハラハラした。

 ――国の王様に、可愛い男の子を殺されてしまったお母さんの話だった――

「まだ、手を挙げていないのは誰だ?」
 先生が問いかける。桜と由紀だけが、まだだった。桜が思い切って手を挙げようとしたとき、振り向いてきた由紀と目が合った。二人は大の仲良しだ。お互い、顔を見合わせると、桜は自分だけ手を挙げるのを止めた。すると、由紀の手がスーッと高く伸びていく。
(うそッ)
 桜は思わず叫びそうになった。
「はい、由紀君!」
 国語が得意な由紀は、きっと正しい答えを言うだろう。椎原先生の意地悪。二人とも大嫌いだ。桜は心の中が夕立みたいになった。
「夜空の星たちが、泣いているように見えることだと思います」
「うん、いいぞ……桜君は、どう思う?」
 いつの間にか、先生が桜の前に来ていた。
 桜は、弾かれたように立ち上がる。
「はい。大切に思っていた人からむごいことをされたお母さんの、とっても深い悲しみを表わしていると思います」
 桜は、今の自分の気持ちを言った。
「そう! 桜君の答えが、私と同じだ!」
 クラスのみんなが感嘆の声を上げる。先生はニコニコ笑って、桜の頭を撫でてきた。
 桜は椎原先生が、また大好きになった。
 チラッと見ると、くやしそうな表情の由紀と目が合う。桜の心は晴れ晴れだ。
 ただ、最初に思いついた答えとは違っていたことを、由紀には内緒にしておこう……。
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