『遅刻の代償』

行き着けのカフェで待ち合わせのことで小さなケンカをしてから
二日経った土曜日の朝、また、いつものカフェで待ってる、と短い
メールをもらった。
 昨日までの小春日和とは裏腹に、今日は暗い曇天で、そのうえ風が
冷たい。要領の良い人だから、当然、空調の効いた店内に席を取って
いるだろう。
 解っていても、ちょっとした意趣返しのつもりで、わざと遅刻する。

案の定、寒風が吹きすさぶ屋外の席には、どうしても喫煙したい
人間が肩を竦めながら座っているだけで、既に二十分近くを待たせ
てしまっている相手は、ガラス越しの屋内に座っていた。
 何度か二人で座ったことのある手触りの良い布張りのソファへ体を
預けて、抑揚のない横顔で本を読んでいる。
 面と向かっては口が裂けても言わないけど、黙って真面目にして
いれば、ハンサムと言ってもおかしくない顔をしてるのに。
 臆面もなく、そんなことを思ってしまう自分自身にも小さく腹を
立てながら、気づかれないように店内に滑り込む。それと、彼の周囲
の様子が変わるのとは、ほぼ同時だった。
「私達、二人だけなんですけど、ご一緒しませんか?」
 隣のソファ席に陣取っていた二人連れの女性がそう言って、彼に明
らかな秋波を送っていた。
 すぐそこまで追っていたソファの背もたれから見えているつむじが
動いて、手元の文庫本から隣の席へ彼が視線を動かしたのが解る。
 声を掛けてきた二人は、知性と積極性を兼ね備えた、この人の好き
そうなタイプ。
 まただ、と思いながら、一つ手前の席へ黙って座り、様子を窺った。
「生憎、待ち合わせをしているので」
「……そう、残念だわ」
 背中合わせに座った自分にも聞こえるほど、はっきりと断られても
尚、席を立たずに留まったのに彼女達の強さを感じる。
 暗に自分が子供だと言われているようで、声を掛けるチャンスを逸
してしまった。

 重くなる気分のまま、じっと黙っていると「二十三分の遅刻だ」と、
すぐ側で言われて、仕方なく左側を振り返る。
 ソファの背もたれの上に仰のいて、こっそりとハンサムと評した
顔がこちらを見ていた。
「黙って見ているとは君も趣味が悪い」
 奥二重の瞳が呆れたように伏せられるのに、顔をしかめながら、
そちらへ体の向きを変えた。
「そんなこと言うけど、邪魔しちゃ悪いかなって思って」
 出来るだけ語調を抑えた、無愛想な声で、それでも語尾を強く
訴える。
「君、それ、本気で言ってるのか?」
「……言ってたら、どうなの?」
 重苦しい気分のまま皮肉を言うと、深い溜め息が彼の唇から
こぼれた。
「今日、僕が待ち合わせた相手は?」
 さすがに人目をはばかったのか、手にしていた本で口元を隠
して聞いてくる。
「わたし」
不承不承、答える。
「では、僕が好きなのは?」
 あからさまな口説き文句を、臆面もなく囁くのに、どうしょうも
なく頬が熱くなった。
「……知る訳ないでしょ?」
 ぷいと視線をはずして、体の向きを元に戻す。

拗ねた態度への揶揄を含んだ、それでいて甘やかされているとも
解る視線が向けられた。
 今の問いに答えるまで、この人、ここから出ないつもりだ。
また、ちょっとした持久戦になる……。
 負けるものか、と密かに決意すると、エスプレッソとカプチーノ
を購入するべく席を立った。

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