『お嬢様の映画館』
 携帯が鳴って、メールの着信を知らせた。お嬢様からだ。
「午後四時ごろに行きます。今日は、チャップリンを観せてください」

 かれこれ一年ほど前になる。折りからの不況に、この映画館も客が来なくなり、閉館が決まった時、とある大企業の会長だか社長が買い取ると申し出てくれた。設備はそのまま、私の映写技師の仕事もそのまま、という取り決めだった。『時々、孫娘がそちらへ行くので、何でも好きな映画を観せてやって欲しい』とのこと。私が上から聞いたのは、それだけだ。
 以来、一、二週間に一度、やって来るお嬢様のためだけに映画を上映すること、それがここで独り働く私の仕事になった。

 お嬢様からの連絡は、いつもメールだった。
 何時ごろ行きます、今日はこれこれの映画を観せてください、いつもそんな文面だ。作品を指定する時もあれば、こんな内容の映画がいいという日もあった。
邦画は全く観ず、洋画の方がお好きなようだ。イマドキの子供ということか、とも思った。しかし、まだ中学一年くらいの年頃なのに、珍しくチャップリンのような白黒の映画が好きらしく、よくリクエストしてくる。

 車で送られて来ることもあれば、一人で来ることもあり、友達を何人か連れて来たこともあった。お嬢様もご友人も誰一人話さず、ただ大人しく観ていたのを覚えている。

 あれは年末だった。
その日の上映は、古いアメリカ映画で、フィルムを切り替えた時、音が出なくなった。慌てて機器を点検したが、間違いはなく、焦ったあまり、余計な所を触ったようで、何とか音声が戻ったのはいいものの、とんでもない大音量になってしまった。反射的に、覗き窓からお嬢様を見ると、この時も大人しく、ただスクリーンを観ていた。カタカタとフィルムの回る音とノイズのひどい音声の中、うす暗い客席の中でもわかるほど、お嬢様の黒い髪はつややかだった。
 その日、お嬢様が映画館を出る時、私は追いかけて頭を下げ、丁重に詫びた。
「今日は、音声の不調がありまして、すみませんでした」
 お嬢様は機嫌を損ねてしまったのか、私に振り向きもせず車に乗り込んだ。

 お嬢様専用の映画館になって一年目の三月を迎えた。まだ寒く、お嬢様は学校の制服にコート、お揃いのマフラーと手袋でやって来た。今日のリクエストは、最近のお気に入りで、外国のコマ取りの人形アニメだ。
「寒かったでしょう、温かい飲み物でも……」
 私はお嬢様の後ろ姿に声を掛ける。しかし、お嬢様は応えてくれず、いつもの席についた。

 上映を終え、お嬢様を見送る。
いつものように掃除をしようとしたところ、通路に片方の手袋が落ちていた。私は拾い上げ、急いで外へ。運転手はドアを開けて、お嬢様が乗るのを見守っていた。
「お嬢様、手袋をお忘れですよ!」
 それでもお嬢様は、やっぱり私の声を無視して車に乗り込んだ。
「手袋は、こちらでお預かりいたします」
そう言って、手を差し出してきた運転手の顔を見た。私は初めて気がついた。
彼は、やや視線を逸らせてつぶやく。
「はい。お嬢様は耳が……」

 携帯が鳴って、メールの着信を知らせた。
「四時半ごろに行きます。今日もチャップリンの映画を観せてください」
 私は今日も、無声映画や洋画や言葉のない映画を上映する。お嬢様のために……。
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