『風車』

 ただ、風紋だけが拡がっている。見渡す限
り遮るものが何もない、砂漠と太陽だけの世
界。風が吹かなければ、音もない。
 ここ、旧クヌム神殿跡地を取り囲んだ村人
たちは、老いたサヴァティエが持ち上げた旗
に、すべての視線を注いでいた。
 いつ、この老人が旗を振り下ろすのか……。
 その手が振られた瞬間、今日の最後、九人
目となる「公開処刑者」の首が神殿中央に
斬って落とされる。「血には血を。死には死
を」が、この国の法典であり、殺人を犯した
罪人に「死刑」を宣告するのは、最終的に被
害者の親族に委ねられていた。
 いま、サヴァティエの視線の先にいる男は
後ろ手を縛られて跪き、目隠しした首を前方
に差し出している。背後に立つ抜刀士(首斬
り役人)に、いつ、生命を絶たれるかに慄き
ながら……。
 こんな哀れな恰好をした情けない男に、我
が息子ユーセフは殺されたのだ。五年前に病
死した妻は幸せだ。一人息子の死を知らない
で済んだのだから。
 成人したユーセフは、象嵌細工を扱う商売
を始めた。村一番の市場に店を出そうとした
が、そこの場所取りで、この男と諍いになっ
たらしい。殴り倒された際に頭の打ち所が悪
く、役人が駆けつけた時には、すでに息絶え
ていたという。男はその場で拘束され、役所
の審理を経て、今日の処刑場送りになった。
 最愛の息子を殺された親の無念を思い知ら
せてやる。溢れんばかりの憎悪に、サヴァ
ティエは心を震わせていた。しかし……。
 太陽が地平線にかかりつつある。旗を振り
上げてから、どれくらいの時間が経っただろ
う。痺れを切らせて立会いの官吏が、小声で
囁きかけてきた。「おい、まだか。オレたち
も早く家に帰りたいんだ」。サヴァティエは
大きく頷いてみせたが、上げた手が動かない。
 神殿に、一陣の風が吹いた。
「カラカラ」。村人が息を呑む静寂のなかに、
乾いた音がしてきた。
 すると、それまで身じろぎもしなかった罪
人が、音のした方向に慌ただしく顔を向けよ
うと首を動かす。群衆が、一斉にざわめいた。
「よしっ」。サヴァティエは心を決めた。
 その瞬間、胸に激痛が走る。
 くそっ、こんな肝心なときに……持病が出
たのだ。「今度、大きな発作が襲ってきたら、
アンタのその心臓は持たないぞ」
 あのヤブ医者め、縁起でもない。男の首が
刎ねられるのを見届けるまで、死んでたまる
か。サヴァティエは、いますぐカタをつける
べく、旗を振り下ろそうとする。
 また、風が吹く。「カラカラカラ」
 サヴァティエはたまらず、手を止める。
 群衆の中に「音」を探した。村人たちの最
前列で五歳ぐらいの男の子が、おもちゃの
「風車」を手に立っている。後ろに母親らし
い女性も寄り添っていた。二人の姿は、まる
で幼い頃のユーセフと妻のようだ。
「ナジェル!」。男が、いきなり叫ぶ。
 サヴァティエの心臓がドキンと高鳴った。
 あの罪人は「風車」の音を頼りに、我が子
の名を呼んだのだ……。
 太陽が地平線に沈もうとしている。
 サヴァティエは悟った。自分の生命は、も
う長くない。自分が死んだら、ユーセフが生
きていたという記憶も死ぬ。それは、いやだ。
せめて、罪の償いに、この男にはいつまでも
覚えていてほしい……。
 村人から、どよめきが沸いた。
 サヴァティエが旗を上げたまま、神殿から
立ち去っていこうとする。「罪人が首を刎ね
られないなんてーー」。官吏が呟く。これま
での歴史で、無かったことが起きたのだ。

 この国で功成り名を遂げたナジェルは末裔
たちを集め、父が誤って生命を奪った「ユー
セフ」という人物の冥福を、代々にわたって
祈り続けるよう、今だに語り聞かせている。

(1行20字×80行=1600字)

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