『美容整形外科医の憂鬱』
伊知悟
「ポタッ……ポタッ……」
 滝井俊がクリニックで診察を終え、深夜、
一階の机でブログを更新していると、手の甲
に水滴が落ちて来た。思わず、天井を見ると、
何かシミのようなものが出来つつある。
「私を綺麗にするって、約束したじゃない」
 俊は、女の声が降って来たように感じた。

 父は有名な外科医だが、一人息子の俊は、
美容整形の外科医にしかなれなかった。父は
美容外科の仕事をバカにしている。しかし、
世の女性たちはいくらでも金を積み、美を求
めて俊のクリニックへやってくるのだ。父に
は悪いが、美容外科の方が気楽で割がいい。
 ただひとつ厄介なのは、女の本性を見過ぎ
ることだ。俊は、もうすぐ四十歳になる。長
身で甘いマスク、その上、高収入なのだから、
「結婚相手はいくらでもいるだろう」と親友
は言う。俊は結婚などゴメンだ。広く浅く、
キレイに遊べる相手がいればいい。だって、
女は、みな同じ。どんな上品な皮膚を被って
いても、どこまでも欲深い生き物なのだから。

 今年の夏、医者仲間に「お前好みの子が来
るから」と強引に誘われて、奥多摩へキャン
プに行った。満天の星が、きらめいている。
でも、目の前に俊の好みは一人もいなかった。
 また、騙された。面白くないので、俊は酒
を飲み、酔っぱらったまま懐中電灯を手に森
の奥へ入って行く。どれくらい歩いただろう。
森を抜けたところに、光り輝く泉がある。見
とれていると、泉の中から女が現われた。
「アンタ、誰?」
「私は女神です。これは、あなたの斧ですか?」
 女神は俊を木こりと間違えて、金の斧、銀
の斧、鉄の斧を見せてくれた。俊が首を振り、
木こりではないと伝えると、女神は「長い間、
誰も斧を落としてくれなくて……」と嘆く。
 俊も、女神が金髪の美女ではなく、ふやけ
たオバサンだったので失望した。
「結構、歳をくってんだね」。つい本音が出る。
 女神は、ひどく傷ついたようだ。
「木こりじゃなきゃ、どんな仕事?」
「俺は医者。女性を綺麗にすることが仕事だ」
 すると、女神は急に瞳を輝かせた。
「私も綺麗にしてちょうだい」
「実在しない女の美容整形などありえない」
 俊が断ると、女神は泉から突き出た上半身
を左右に振ってイヤイヤのポーズをする。
「わかった、わかった。約束する」(やめて
おけ。もう、その仕草は似合わない)
「昔の若い時みたいに綺麗になれば、また、
木こりたちがこの泉に斧を落として、私に会
いたいと願うはずだわ!」
(あぁ、ここにも欲深き女がいる)
「あなたも、また、私に会いに来てくれる?」
「うん、必ず」(ふやけた女神に、再び会い
たいとは思わない)
「来なかったら、私から会いに行くわ」
「いいよ」(来れるものなら、来てみろ)
 俊は手を振り、元の道へ帰って行った。
 翌朝、俊は森の中で目覚めた。

 あの夜、水滴が落ちてくるまで、俊はすっ
かり女神のことなど忘れていた。日増しに天
井のシミが大きく、雫の量も多くなってきた。
 まさか、本当に来るのか? と焦る。
「そうだ!」。俊は、いい方法を思いついた。
 あの女神、要は男たちにちやほやされたい
のだ。今の世は、ネット社会。そして、珍し
い話題に飢えている男たちがウヨウヨいる。
 載せてやるよ、女神のことを裏サイトに。

「猟奇殺人の前触れか」。ТVキャスターが、
騒いでいる。近頃、都内で斧が爆発的に売れ
出した、という各局のニュースに、仕掛け人
の俊はにんまり笑う。斧を買った男たちは、
あの泉の女神を崇めに行くのだ。
 見上げると、いつの間にか、天井のシミは
キレイに消えていた……。

(1行20字×80行=1600字)

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