『初盆』
りょう
 健太は、三か月ぶりに自宅へ戻ってきた。
 初めてなので、どうなることかと迷いはし
たが、迎え火を頼りに、たどりついた。
 まずは二階の窓から直接、自分の書斎に入
る。読みかけの本や、日めくりカレンダーが
そのままになっていた。
「あぁ……」。健太は大きな息を漏らして、
愛用の椅子に腰を落とす。この部屋は今も、
時間が止まったままなのだ。
 一階の和室から、何やら話し声が聞こえて
くる。誰が訪ねてきているのか確かめようと、
健太は足音を立てずに階下へ降りた。
「だけど、信ちゃん。よく最後まで、主人を
騙し続けてくれたわねえ。ありがとう」
 妻の由利子が、ニッコリと話しかけている。
「由利ちゃんも、よく辛抱したよ。僕との秘
密、健太に気づかれずに済んだからね」
 膝を突き合わせて、笑っているのは信一だ。
 和室を覗いた健太は、ドキリとした。
(もしかして、俺はあいつらに……)

 今年六五歳になる三人は、幼稚園からの幼
なじみである。高校時代、由利子と信一は同
じ吹奏楽部で恋仲だった。だが、信一が地方
の大学へ行って遠距離になったのを幸いに、
健太が強引に由利子を横取りしてしまったの
だ。大学を卒業して、すぐに親の商売を引き
継いだ健太は、由利子の気が変わらないうち
にと結婚した。十年前に、この地へ里帰りし
てきた信一は、なぜか今も独身を貫いている。
 健太の胸に、いやな想像が現実味を帯びて
押し寄せてきた。
 由利子と信一は、新しい仏壇の前に座って
いる。健太は、自分の気配を消して、二人に
気付かれないよう仏壇の後ろに隠れた。
「治ると信じ込んでいる主人が、かわいそう
で仕方なかったわ」「健太の性格を利用した
んだ。おだてりゃ有頂天になるし、気落ちす
ると、とことん沈み込むからね」
「それにしても、信ちゃん。最後の注射、よ
く効いたわねえ。苦しまずに、逝ったもの」
「僕の思っていた以上に、完璧だったよ」
 市民病院で健太の最期を看取った主治医は、
内科部長の信一だった。
「私たちの犯罪から、もう三か月……初盆よ」
 抑えきれない憤怒が、健太を貫く。
「あら?」「由利ちゃん、どうした?」「いま、
あの人の位牌がコトリと音を立てて傾いたの」

 今年の二月、健太に胃がんが見つかった。
ひどい腹痛で信一の診察を受けたとき、精密
検査をして分かったのだ。
「信一、俺は入院なんかいやだ。商売も息子
に渡したし、これから由利子とゆっくり温泉
めぐりでもして余生を過ごしたいんだ」
「信ちゃん、主人を助けてやってよ」
「わかった。温泉旅行を中心とした、特別な
療養計画を立ててみる」
 その一か月後、信一は健太にレントゲン写
真を見せた。がん細胞が小さくなっている。
処方されている薬も効果を発揮しているよう
だ。二か月後には更に小さくなっていた。健
太は、意気揚々と次の温泉地に由利子と旅
立った。しかし、その旅行から帰って来た夜
中に健太は急変する。由利子は、すぐに救急
車で健太を市民病院に運び入れ、信一を呼ん
だ。あの注射を打ってもらうために……。

「他人のレントゲン写真を見せて、快方に向
かっているなんて、騙されて。主人、やっぱ
りかわいそうだったわ」
「由利ちゃんには事前に伝えておいたけど、
精密検査で分かったときには、もう末期で手
遅れ状態だったからね」
「あの人、何も知らずに温泉めぐり、堪能し
たんじゃないかしら。最後のモルヒネもよく
効いて、眠るように旅立ったのよ。信ちゃん、
主人になり代わって、お礼を言うわ」
 由利子が頭を下げる。信一は涙をこらえた。
(二人とも、ありがとう)。健太は叫んだ。
 新しい位牌が、もう一度、コトリと動いた。

(1行20字×80行=1600字)

clipimg