「4枚小説」作品『黒部の要求』  


『黒部の要求』
わしに女房、貰うてんか」

 ブルドッグの黒部が言った。私は寝ころん

だまま、ソファの上で飛び上がった。二年前

から家の中で飼っているペットだが、最近、

あらゆる要求を私にぶつけてくる。

 犬の言葉や気持ちが分かり出したのは、一

年ほど前のこと。この犬の上層思念が、私の

意識領域内にどっと流れ込んで来るように

なったのだ。このことは、黒部も知っている。

 ペットというものは、言葉が通じないがゆ

えに可愛いのであって、お互い分かり合える

と、とんでもないことになる。

「じゃあ、公園へ行けよ。いくらでも相手が

いるだろ? そう、パールはどうだ?」

「あれ、年増や」「じゃあ、リボンは?」

「あれも後家や。それにセパードは好かん」

「どうしろというんだ?」「ペスがええ」

 ペスというのは、近所にある坂本ペット店

で売られているドーベルマンであった。

「あれは高すぎる」

「あんた、45歳の独身で金持ってるやないか。

わしに別嬪の女房をあてがってくれ」

 黒部は、しつこく要求してくる。

「お前なあ、鏡を見て自分の顔と相談してみ

ろ。ぺスが惚れてくれると思ってるんか?」

 私は黒部に、少しきつい言葉を返した。

「わしは顔のことを言われると傷つくねん。

今度、言うたら咬むぞ」

 ちょっと、気まずい空気になってしまった。

「仕方ない。とりあえずぺスに会いに行こう」



 家を出ると、お隣のベランダから布団を激

しく叩く音がする。隣家の一人娘で、半年前

に離婚して戻ってきた勝代が、騒音を撒き散

らしているのだ。近所でも噂の迷惑女だった。

 私は無視して、坂本ペット店へ向かう。

「はぁはぁ……」

 布団叩きを手にした勝代が、いつの間にか

服を脱いで下着姿になっている。喘ぎながら

最後のパンティに手をかけようとした。

「いいかげんにしろ、このスケベ犬!」

 黒部が私の腕の中で妄想に耽っていたのだ。



 ペスを前にして、黒部は足を震わせている。

「ホ、ホンマに別嬪やなあ。わいの女房に

なってくれへんか?」

「あんたみたいな皺くちゃ、大嫌いなの」

 ペスはプイと向きを変え、ケージの奥へ

引っ込んでしまった。

 帰途、黒部はさすがに落ち込んでいる。で

もまだ未練があるのか、こんなことを言った。

「大金だして買うてくれさえしたら、口説き

落とせる自信があるのになあ」

「もう、あきらめろよ」

「あんたには、わしの恋ごころが分からんの

や。わしが口説き上手なんを、あんた知らん

やろ」

「ああ。知りたくもない」

「そうか。なら、今に思い知らせたるさかい

に。待っときや」



 それから三日後のこと。

 私と黒部がソファに横たわっていると、

「牛乳が飲みたい!」と黒部が発信した。

 仕方なく私が重い腰を上げようとした時、

玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けると、牛

乳を手に勝代が立っていた。そのまま、ずか

ずかと上がり込んで、ソファに向かう。

「もしかして、黒部の言うことが分かる?」

 私は勝代に訊いた。すると、ニッコリ頷く。

「黒部。お前、まさか彼女を……?」

「ああ、口説いたで。思い知ったか」

 私の背筋に悪寒が走った。これから日夜、

黒部に会いに勝代は私の家へ押しかけてくる

だろう。それを見て、噂好きな近所の連中は

何と思うか? 私は独身で、彼女は出戻りだ。

「分かった。今からぺスを買ってくるから、

口説くのは犬だけにしてくれ」

 黒部の高笑いを心で聞きながら、要求に屈

した私は坂本ペット店へと急いだ。



(ヨコ1行20字×80行=1600字)

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